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義経一行は、本合海で舟を下り、現在の新庄に入った。当時は、現在の新庄の中心地は湿地帯で、鳥越八幡宮あたりが中心だったと思われる。

義経一行は、鳥越から東に進み、「亀割峠」を越えることにし、新田川沿いの道を進んだ。その途中、この判官神社の地で一休みし、後世、この地は「休場(やすんば)」と呼ばれるようになり、判官神社が建立された。

亀割山で、北の方が義経の子を無事に出産したため、今なお安産の神として信仰されている。この神社には弁慶が握ったという手形がついた石が伝えられている。

一行は身重の北の方を支えながら亀割山に分け入り、峠を越えたところで北の方は産気づき、やむを得ず大木の下に皮を敷き、お産場所と定めて宿にした。お産が始まり、北の方が水を欲しがり、弁慶が谷を下り、ようやくに水を見つけて汲んで戻った。しかしその時、北の方は息も絶え絶えだった。弁慶は汲んできた水を北の方に飲ませ、朝まで八幡大菩薩に祈ったところ、無事に出産することができた。

産まれた子どもは、亀割山で生まれたことから、亀若丸と名づけられた。義経は、亀割山中の観音堂に北の方を休ませ、弁慶だけが産湯を求めて山を下った。弁慶は道行く人に疑われないように、亀若丸を麻の衣で包み笈の中に入れて山を下りた。

弁慶は、湯煙が立ち昇る川辺をみつけ、その川辺の大岩を薙刀で突き破ると、不思議にも白龍昇天のごとくお湯が吹き出たという。この地のお湯で、亀若丸の産湯を使い、北の方はじめ、義経主従も山を下り、北の方の産後の回復を待ち、しばしこの瀬見温泉の地にとどまったようだ。

瀬見温泉を後にした一行は、峠を越えてじきに日が暮れ、野宿することになった。その地は、山猿が支配していた地で、弁慶は山猿に、北の方が、亀割峠でお産をして間もない事情を話すと、山猿は急ごしらえのお堂を建て、甘酒で接行してくれた。弁慶はその礼に、猿の安全を祈り、この地に地蔵尊を祀ったといわれている。

弁慶は、赤子の亀若丸が泣き出し、鎌倉方に気づかれぬように、そっと優しくあやしては泣かさぬように努めていた。中山峠を越えるとその先は藤原秀衡の勢力下になり、これまで一行の緊張感を感じていたのか、生まれてから尿をしなかった亀若丸が、この地で初めて尿をしたという。そのことから、この地を尿前(しとまえ)と呼ぶようになったと云う。

義経一行は、尿前の関守の館に旅装束をとき、しばらくぶりに安らぎの一夜を明かした。川下の河原湯に案内され、北の方はことのほか喜び、朝な夕なに入浴し、長旅の疲れと産後の回復にしばし留まることになった。

亀若丸を湯に入れて「この地、もはや藤原秀衡の国なれば、啼き玉うともはばかることなし」と言うと、亀若丸は初めて声を上げて泣いたという。里人はこれから、瀬見温泉の湯を「泣かずの湯」、鳴子の湯を「鳴き子の湯」などと呼び、やがて「鳴子」と言われるようになったという。

鳴子には伝統工芸品としてこけしが伝えられているが、「鳴子こけし」は首のところをまわすと、「キュッ」と泣き声をあげ、「啼き子」の伝説を伝えている。

一行は鳴子を後にし栗原寺に向かう途中、荒谷の斗瑩山に立ち寄った。義経はこの地で静御前遺愛の初音の鼓を打っていると、どこからともなく白狐が現れ、「鼓は自分の亡き母の皮でつくったもの。ぜひ返して頂きたい。」と、涙ながらに申し出た。義経は弁慶に命じ祭壇を築かせ鼓を捧げ、一行の武運長久を祈願したという。

一行が向かった栗原寺(りつげんじ)は、用明天皇2年(587)の開山で、天台宗奥州総本山であり、金堂を中心に三十六坊に分かれ、七堂伽藍を備え、僧侶一千人を擁していたと云う。義経一行は栗原寺に一泊し、藤原秀衡の迎えとともに栗原寺僧兵50人の護衛を従え平泉の中尊寺に入った。

栗原寺は実証する資料がなく、「幻の寺」とされていたが、昭和37年(1962)の調査で、この境内に栗原寺金堂跡が確認され、また、浄土庭園の跡も確認された。近年、その沼地から、観世音菩薩立像、如来座像等が発見された。像は損傷が激しく、状況から考え、平泉の滅亡の際に、破却を恐れ一時的に沼地に埋めたものと推測できる。沼地にあったときは、それとは知らぬ近所の子供達が、シーソーがわりにこれに乗って遊んでいたという。

平泉に入った一行は、高館に居館を与えられた。藤原秀衡は、頼朝の勢力が奥州に及ぶことを警戒し、義経を将軍に立てて鎌倉に対抗しようとしたが、文治3年(1187)病没した。頼朝は秀衡の後を継いだ藤原泰衡に、義経を捕縛するよう朝廷を通じて圧力をかけた。泰衡はこの圧力に屈し、5百の兵をもって10数騎の義経主従を衣川館に襲った。義経は持仏堂に篭り、北の方、亀若丸らとともに自害して果てた。享年31であったと云う。

現在、丘の頂上には、天和3年(1683)、仙台藩第四代藩主の伊達綱村が義経を偲んで建てた義経堂があり、中には義経の木造が安置されている。