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イザベラは、いよいよ「奥地」へ踏み込んだ。横浜から東京、そして日光と、イギリスの文化と比較しても、驚くべきものだったが、「奥地」に足を踏み入れてみれば、それは全くの別世界と感じられただろう。そこは大層貧しく、家屋は惨めで、畳から蚤は湧き出し、多くの子供は皮膚病で、人々は裸同然で暮らしていた。にもかかわらず、山々は美しくかすみ、美しい水が渓流を流れ落ちる。イザベラは気付かなかったかもしれないが、鬼怒川の道が、「絵のように美しい」ことと「困難な道」であることが裏表であるように、山里の貧困と害虫、黄金色にかすむ山々、迸る渓流は、険しい山地であることと湿潤な気候によるもので、裏表の関係なのだ。
人々は勤勉で、貧困と過重な労働のために女性も醜い顔になっているが、それでもイザベラはその中に優しさを見つけ「きついスカートとハイヒールのために、文明社会の婦人たちが、痛そうに足をひきずって歩くよりも私は好きである」とさえ言っている。



第十二信 車峠にて(六月三十日)

【山王峠】
長い山路を登ると、高さ二五〇〇フィートの峠の頂上に出た。そこは三〇フィートも幅のない突き出た山の端で、 山々や峡谷のすぱらしい眺めがあった。入り組んだ谷川の流れは、一つとなって烈しい奔流となっていた。 その流れに沿って数時間ほど進むと、川は広くなって静かな流れとなり、 かなり大きい水田の中をのろのろと流れていた。地図を見ると、この地方は空白になっているが、 私の考えでは、さきに越えた峠は分水界であって、それから先の川は、太平洋に向かうのではなく、 日本海に注ぐのであると思われた。この推量は当たっていた。 

【川島】
糸沢では、借り出した馬がひどく躓くので、最後の宿場間を歩いて川島に着いた。ここは五十七戸のみじめな村であった。 私は疲れきって、それ以上は進めなかったので、やむなく藤原のときよりもずっとひどい設備の宿に泊まることになった。(中略)
田植えが終わると二日間の休日がある。そのときには、米作り農家の神である稲荷に多くの供物があげられる。 人々はお祭り騒ぎをして、一晩中飲んで浮かれていた。社の太鼓の音や、太鼓をたたきながら歩きまわる音が続いて、 私は眠ることができなかった。

【不衛生】
この人たちは、リンネル製品を着ない。彼らはめったに着物を洗濯することはなく、着物がどうやら持つまで、夜となく昼となく、同じものをいつも来ている。夜になると、彼らは世捨て人のように、自分の家をぴったりと閉め切ってしまう。家族はみなよりかたまって一つの寝室に休む。部屋の空気は、まず木炭やたばこの煙で汚れている。彼らは汚い着物を着たままで綿をつめた掛け布団にくるまる。布団は日中には風通しの悪い押し入れの中にしまっておく。これは年末から翌年の年末まで、洗濯されることはめったにない。畳は外面がかなりきれいであるが、その中には虫が一杯巣くっており、塵や生物のたまり場となっている。(中略)このような生活の結果としてどんな悲惨な状態に陥っているかここでくわしくのべる必要はあるまい。
(後略)

第十二信(完)

【田島、長野】
私たちは田島で馬をかえた。ここは、昔、大名が住んでいたところで、日本の町としてはたいそう美しい。 この町は下駄、素焼、粗製の漆器や籠を生産し、輸出する。私たちは、広さが三十ヤード平方から四分の一エーカーまで大小様々の水田の間を旅行していった。水田の土手の上部は利用されて、小豆が植えてあった。水田を通り過ぎると荒海川という大きな川に出た。私たちはその支流にそって二日間とぼとぼ歩いて来たのであった。そして汚いが勤勉な住民のあふれている汚い村をいくつか通り過ぎて平底舟で川を渡った。
(中略)

【大内宿】
この地方はまことに美しかった。日を経るごとに景色は良くなり、見晴らしは広々となった。 山頂まで森林におおわれた尖った山々が遠くまで連なって見えた。山王峠の頂上から眺めると、連山は夕日の金色の霞に包まれて光り輝き、この世のものとも思えぬ美しさであった。私は大内村の農家に泊まった。この家は蚕部屋と郵便局、運送所と大名の宿所を一緒にした屋敷であった。 村は山にかこまれた美しい谷間の中にあった。

【市川(市野)】
私は翌朝早く出発し、噴火口状の凹地の中にある追分という小さな美しい湖の傍を通り、 それから雄大な市川峠を登った。すばらしい騎馬旅行であった。 道は、ご丁寧にも本街道と呼ばれるものであったが、私たちはその道をわきにそれて、ひどい山路に入った。(中略) 峠の頂上は、他の多くの場合と同じく、狭い尾根になっている。山路は、山の反対側に下ると、 ものすごい峡谷の中に急に下りてゆく。私たちはその峡谷に沿って一マイルほど下って行った。(中略) 山を下り終わる近くで、私の雌馬は反抗して手に負えなくなり、私を乗せたまま、見苦しい姿で早駆けをして、市川という村に入った。 ここは美しい場所にあるが、傍は切り立った崖となっている。村の中央に、すばらしい飛瀑があり、 そのしぶきで村中がまったく湿気に侵されている。
(後略)

第十三信 車峠にて(六月三十日)

(前略)
【高田】
杉の並木道となり、金色のりっぱな仏寺が二つ見えてきたので、かなり重要な町に近づいてきたことが分った。 高田はまさにそのような町である。絹や縄や人参の相当大きな取引きをしている大きな町で、 県の高官たちの一人の邸宅がある。街は一マイルも続き、どの家も商店となっている。街の外観はみすぼらしくわびしい。外国人がほとんど訪れることもないこの地方では、町のはずれで初めて人に出会うと、その男は必ず街の中に駆け戻り「外人が来た」と大声で叫ぶ。すると間もなく、老人も若者も、着物を着た者も裸の者も、目の見えない人までも集まってくる。 

【坂下】
ここは人口五千の商業の町である。まさに水田湿地帯の中にあって、みすぼらしく、汚く、じめじめと湿っぽい。黒い泥のドブから来る悪臭が鼻をつく。温度は八十四度で、暖かい雨が重苦しい空気の中を激しく降ってきた。私たちは馬を降りて、干魚をつめた俵がいっぱい入っている小屋に入った。干魚からでる臭いは強烈であった。
(中略)
ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまでは ゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここで私は、 一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群衆にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。(中略) 彼らはお互いに親切であり、礼儀正しい。それは見ていてもたいへん気持ちがよい。
(中略)
ようやく一時間してこの不健康な沼沢地を通り越し、それからは山また山の旅である。 道路はひどいもので、辷りやすく、私の馬は数回も辷って倒れた。

【片門】
私たちは阿賀野川という大きな川にかけてある橋をわたったが、こんなひどい道路にこんなりっぱな橋があるとは驚くべきことである。 これは十二隻の大きな平底船からなる橋で、どの船も編んだ藤蔓の丈夫な綱に結んである。 だからそれが支えている平底船と板の橋は、水量が十二フィートの増減の差ができても、自由に上下できるようになっている。 伊藤は落馬したために一時間おくれたので、私はその間、片門という部落で、米俵の上に腰を下ろしていた。 この部落は、阿賀野川の上流の山手で、急な屋根の家々がごたごたと集まったところである。
(中略)

【山岳地帯】
こんどは山岳地帯にぶつかった。その連山は果てしなく続き、 山を越えるたびに視界は壮大なものとなってきた。今や会津山塊の高峰に近づいており、 二つの峰をもつ磐梯山、険しくそそり立つ糸谷山、西南にそびえる明神岳の壮大な山塊が、 広大な雪原と雪の積もっている峡谷をもつ姿を、一望のうちに見せている。 これらの峰は、岩石を露出させているものもあり、白雪を輝かせているものもあり、緑色におおわれている低い山山の上に立って、 美しい青色の大空の中にそびえている。これこそ、私が考えるところでは、 ふつうの日本の自然風景の中に欠けている個性を力強く出しているものであった。 
(中略)

【野沢】
ただ一人野沢という小さな町に着くと、人々は好奇心をもって集まってきた。 ここで休息をしてから、私たちは山腹に沿って三マイルほど歩いたが、たいそう愉快であった。 下を流れる急流の向かい側には、すばらしい灰色の断崖がそそり立ち金色の夕陽の中に紫色に染まっている会津の巨峰の眺めは雄大であった。

【野尻】
日暮れ時に野尻という美しい村に到着した。この村は、水田の谷間のはずれにあった。 夕方ではあったが、私は穴の中のような宿で日曜日を過ごしたくはなかった。 一五○○フィートほど高い山の端に一軒家が見えたので、聞いてみると茶屋であることが分かったから、そこまで行くことにした。 うねうねと続く山路を登るのに四十五分もかかった。この道によって難所の峠を越えるのである。
 
【車峠の宿】
会津の山々の雪景色はすばらしいし、ここには他に二軒しかないから、 群集にわずらわされることなく自由に散歩できるからである。(中略) この地方は見たところ美しくもあり、また同時に繁栄しているようである。 山麓に静かに横たわっている野尻という尖り屋根の並んでいる村に、ひどい貧困が存在しようとは、 だれも考えないであろう。しかし、ちょうど下の杉の木に下がっている二本の麻縄が、 貧乏のために大家族を養うことができず二日前に首をくくった一人の老人の、悲しい物語を語っている。 宿の女主人と伊藤は、幼い子どもたちをかかえた男が老齢であったり病身であったりして働けなくなると、自殺することが多い、と私に話してくれた。
(後略) 




つらかった六日間の旅行を終えて、山の静かな場所で安息の日を迎えることができるとは、 なんと楽しいことであろうか。山と峠、谷間と水田、次に森林と水田、こんどは村落と水田。 貧困、勤勉、不潔、こわれた寺、倒れている仏像、藁沓をはいた駄馬の列。長い灰色の短調な 町並み、静かにじっと見つめている群衆・・・これらが、私の思い出の中に奇妙なごったまぜと なって浮かび上がってきた。(後略)