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南祖坊との闘いに負けた八郎太郎は、生まれ故郷の鹿角に帰ってきた。高い山に登って見れば、米代川、小坂川、大湯川の三つの川が集まる、錦木の男神、女神の狭い谷あいが見えた。八郎太郎は、錦木の谷間を埋めて水をためれば、大きな湖ができると考えた。

そこで八郎太郎は、付近の茂谷山(もややま)で、男神、女神の谷間を埋めることにし、茂谷山を背負う為に、鹿角中のブドウづる、フジづるを集めで綱をない、茂谷山を運び始めた。

これに驚いた鹿角の四十二人の鎮守の神様は、大湯のお宮に集まり、八郎太郎を追い出すための相談をした。神々は八郎太郎が運び始めている茂谷山をくずし、石のつぶてをぶつけ、八郎太郎をおいだすことにし、堰を破り、石つぶてを切り出すために、花輪の12人の鍛冶に、金槌、ツルハシ、鏨などを沢山作らせ、牛に集宮まで運ばせた。

神々は、八郎太郎がせき止めた場所を壊し、石つぶてを八郎太郎に投げつけ、 この鹿角の神様たちの反撃に遭った八郎太郎は、湖をつくることをあきらめ、再び安住の地を求めて米代川沿いに下って行った。

しばらく行くと、北は籠山、南からは七座山が迫っている二ツ井あたりへやってきた。そこはとても景色のよい所で八郎太郎は大そう気に入り、川の一部をせきとめて湖をつくり、安住の地にしようとした。

ところが困ったのは七座の神々だった。何とかしてほかの地へ追いやろうとして神々が集まって相談したが、なかなかよい案はうかんでこなかった。そこで、いちばん信望のあつい七座の天神様に一切を任せることにした。

七座の天神様は八郎太郎を呼んで、力くらべをしようと持ちかけた。八郎太郎は、そばにあった大きな石を投げ、その石は、米代川の中ほどに落ちた。天神様は、もっと大きな石を軽々と投げ、それは米代川をはるか越えていった。見事に勝った天神様は弱気になった八郎太郎に、下流に、もっと広々とした場所があり、一夜にして大湖水にしてやると勧めた。そして早速、千匹の白ねずみを集めて、八郎太郎の住む湖の土手に穴をあけさせた。

この話を知った下流のねこたちは喜び、白ねずみたちに襲いかかり捕まえようとした。それを見かねた神々は、猫にノミをつけないと約束し、猫を繋いでおいた。それでようやくねずみたちは堤に穴をあけることができた。

ねずみたちがあけた穴からは次々に水が流れ出し、それが大洪水となり、八郎太郎はこの流れにのり米代川を下っていった。

米代川を下った八郎太郎は、今の琴丘の天瀬川のあたりまで流されてきた。見渡せばまわりは広い田んぼで、川の流れはすっかり小さく、ゆるやかになっていた。辺りは暗くなり、近くに一軒の農家のあかりが見えるだけだった。八郎太郎はずぶぬれのまま、一夜の宿を乞いに屋敷に入っていった。

その家の老夫婦は、八郎太郎に同情し、早速座敷にあげてくれた。しかし八郎太郎は、天神様の言うとおりだったら、夜が明ければこの地は湖に沈んでしまう。八郎太郎はお爺とお婆に、泊めてくれたことのお礼を述べ、自分が龍であることを伝え、そして明日の朝、鶏が鳴くと同時に大地が割れ、ここが大きな湖になると老夫婦に話した。

老夫婦は大変驚きながらも、八郎太郎の話を信じ、鶏が鳴く前に逃げようと急いで逃げる準備を始めた。しかし、準備が終わるか終わらぬうちに一番鶏が「コケコッコー」と鳴き出し、突然地面がぐらぐらと揺れた。あたりの山々もゆさゆさと揺れ、どこからともなくゴーッという音と共にあちこちから水がふき出し、大洪水となった。

急いで舟をこぎ出そうとした時、お婆が大切な裁縫道具を忘れてきたと言って家へ戻っていった。その間に水が押し寄せ、お爺を乗せた舟は沖に流されてしまった、お婆は大水に流され、おぼれかけたが、それを見つけた八郎太郎は水の中に入り、長い尾でお婆をすくいあげると、お婆はボーンと空中に舞い上がり、対岸の芦崎というところまで飛んでいった。

お爺とお婆は助かったが、離ればなれになってしまった。後に、お爺は天瀬川の南の夫殿権現(おどどのごんげん)に、お婆は芦崎の姥御前神社(うばごぜんじんじゃ)に祀られるようになった。三倉鼻と芦崎では、鶏を「不吉なとり」として、長い間肉も卵も食することはなかったという。

八郎太郎は、この大きな湖の主となり、湖は八郎潟と呼ばれるようになった。

三湖伝説の内の米代川流域の伝説は、実際に起きた自然災害がモチーフと考えられている。延喜十五年(915)、十和田湖にあった火山は、二千年来最大とも言われる大噴火を起こした。この噴火によってもたらされた噴火降下物は、各地で堆積し、川をせきとめ自然のダムを造った。ダムは周囲を水浸しにしながらも最終的に決壊し、各地で大洪水を起こした。まさにこれらの被害を受けた地区に、八郎太郎の伝説が残っている。