2013/04/25

 

歴史散策⇒鶴喰若宮八幡宮

昨日で今回の仕事は終えて、昨夜の内に長躯青森に入った。今回は、六戸町から三沢を通り、夏泊半島を経て、青森市内と以前残した浪岡の歴史散策をするのがざっくりとした予定だった。冬に閉じ込められ、久方ぶりの本格的な歴史散策で、気分はハイで、長距離走破も苦にはならない。

今回の予定では、長慶天皇の伝説を辿るのが一つの大きな目的だった。この日の始まりは、その伝説を残す、六戸町の鶴喰若宮八幡宮だ。長慶天皇は、南朝がすでに勢いを失った時期の、南朝三代目の天皇であり、当然のことながら資料も少なく、その確たる事績は不明であるが、各地に多くの伝説を残している。

みちのくの一連の南北朝期の伝説は、多賀城から福島、郡山に、その後は時代が下るにつれ南朝方の衰退と共に資料は少なくなっていく。しかし伝説は北上し津軽に至っている。

南朝は、結城氏、伊達氏、葛西氏、南部氏といった、奥羽の有力な領主らが南朝方であったため、中央で南朝勢力が衰退した後もその足跡を奥羽各所に残している。戦国末期までの奥羽の歴史は、まさに南北朝期の争いの中にあったといって良い。

それらの伝説の彼方にあるだろう史実の中心が、北畠氏であり、護良親王でありまた長慶天皇であるだろう。中でも、北畠氏は津軽で大きな勢力を築きながら、戦国末期に津軽為信に滅ぼされ、恐らくはこれで奥羽の南北朝期は終わったというべきなのだろう。

この六戸町の「天皇山」の鶴喰若宮八幡神社は、長慶天皇の陵墓との言い伝えがあり、近くの「駒形神社」は、長慶天皇の愛馬を祀ったとされる。またこの「天皇山」周辺に住む方々は、長慶天皇の従者を先祖として持ち、この陵墓を守るためにこの地に残ったとする伝説が今も強く語り継がれている。

しかし、すでに時代の流れの主流ではなく、恐らくはそのような理由から、次第に忘れ去られていったのだろう。そのためか、それらの伝説を伝える神社や館跡や塚などはいかにも質素なものだ。

しかし、それらがどこぞの観光施設のように人目を引くものではないからといって、各所に散在する南北朝期の伝説の多くは、そのディテールはともかくとして、私には間違いなくその後のみちのくの成り立ちを底辺で動かしてきた「史実」があったものと思える。

八幡神社の境内には三本の古木があり、中でもカツラの古木が見事だ。その脇に説明板が設置され、そこには長慶天皇の伝説は書かれてはいなかった。しかし、その三本の古木が「三種の神器」の代わりのものであると書かれており、時代の流れを憚りながらも、長慶天皇の陵墓を守るこの地の氏子達の思いを表しているように思えた。

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