2012/11/05

昨日は三内丸山遺跡を最後に今回の津軽路周遊を終えて、国道4号線を走り、道の駅さんのへにお世話になるつもりだった。青森はさすがに遠く、夜の道を走れるだけ走り、帰路は、気軽にあちこち寄りながら花巻付近まで南下し、仙台まで戻ることにした。今回は、三戸町を中心に、これまで取材し残していたところを昼ころまで歩き、その後は馬仙峡の紅葉をカメラに収めたいと思っていた。

この日は、夜明け時には小雨が降っていたが、天気予報によれば午前中は晴れるようだった。今回の津軽周遊は天気には恵まれなかったが、この日は久しぶりの青空が見れるかもしれない。

三戸周辺では田子館跡に是非寄りたかった。南部藩藩祖の南部信直の若き時の居館である。信直の南部氏後継を巡っては、伏せられた歴史が多くあるようで、江戸期初期の金山隆盛の華やかな南部藩の陰に、ドロドロした歴史が多くあるように感じている。その原点が、田子館ということになる。

この地の方々に、この場所を尋ねたのだが、知っている人はおらず、かろうじて検討をつけた中学校校地のところに表示板を見つけた。校地の北側、東側の斜面と、中学校の通学路になっている切堀にその名残が見られるが、この地で南部信直が悲憤の中で激情をたぎらせたことを、どれだけの方が知っているのだろうか。

南部信直は、三戸南部氏の津軽方面軍団長とも言える石川(南部)高信の子としてこの地に生まれたとされるが、その後、南部宗家の三戸に男子がいなかったことから、三戸南部の嫡女と婚姻の上、南部宗家の養子となった。

ここに南部氏の不幸があった。その後、三戸南部当主晴政に男子が生まれ、晴政には殺されそうになり、さらに正妻も没し、悲憤の内にこの館にもどった。その後晴政の死後に、激烈な家督相続を巡る争いが起こり、それが後の九戸政実の乱となり、一族の多くを失うことになる。

南部氏は、中央軍を呼び込み、九戸の乱をなんとか乗り切り、盛岡に拠点を移し、高石垣を組み上げた盛岡城を築いた。しかし、実はその土台は非常に脆弱なものになっていたのではと考えているのだが、その根本になったのが田子館跡ということになる。

この若き南部信直の居館での出来事は、南部の「伝えてはならない」ものなのだろうか。

田子町から国道4号線に戻り、岩手県に入り馬仙峡を目指した。

馬仙峡は二戸市にあり、馬淵川清流の景勝地であり、男神岩、女神岩が有名である。朝はまだ少し天気はよくなかったが、昼近くから少し青空も出てきていた。この日の馬仙峡は、どのような姿を見せてくれるのだろうか。北の地の紅葉の時期は短く、すでに紅葉から落葉になりつつあったが、それでも国道沿いの山々の紅葉は十分に美しい。

この二戸は南部氏一族の九戸氏が支配していた地だ。そしてこの二戸の九戸城を舞台として九戸政実の乱が起きた。乱の鎮圧後は、九戸城は南部氏が支配し福岡城と改称したが、南部氏が盛岡に移ったこともあり、この地で福岡城と呼ぶものはなく、九戸城と呼ばれている。

この二戸は、江戸時代には南部領ではあったが、この地の人々にとっては、九戸政実の乱は鮮烈なものであったろう。蒲生氏郷や浅野長政などの錚々たる中央の10倍もの敵を引き付け戦い、善戦し窮地に追い込んだのだ。乱後、九戸氏の勢力は一掃されたものの、この地の人々は、中央軍を引き込んだ南部氏よりも、善戦した九戸氏に対して心中で喝采したのだろう。

そんなことを考えながら二戸の市街地を過ぎると、左手に紅葉の馬仙峡が見えてきた。馬仙峡は景勝地として有名なので、それなりの観光施設があるものと思い込んでいたが、馬淵川沿いにはそれらしいものはなく、ごく普通の生活が営まれているだけだ。この景勝地を日常に取り込んでしまっているこの地の方々の意識は、それはそれですごいものだなどと考えた。

撮影ポイントを探しながら渓流沿いに車を走らせ、空に屹立する巨岩と紅葉と渓流の織りなす絶景を半ば呆然としながらカメラに収めた。新緑時や厳寒時にも見事な風景がみられるだろう。途中、「男岩女岩展望台」の表示板を見つけたが、少し距離があるようだったので行かないでしまった。

帰ってきてからのことだが、気になって「展望台」を調べたところ、その「展望台」は、馬仙峡と男岩、女岩を足下に臨める絶景の地だったようだ。地元の方々が、わざわざ表示板を立てているような自慢の地は、やはり訪れるべき場所なのだということを改めて思った。

馬仙峡をあとにし、国道4号線をひたすら南下する。時間は午後2時をまわっている。この先は予定は何もなく、途中、表示板などがあれば立ち寄るつもりだった。仙台までは、およそ300km。「行きはよいよい帰りはこわい」である。いつものことだが、往路の夜の長距離は割と平気なのだが、帰路の300kmはいかにも遠い。

皮肉なことに、これまで小雨交じりの天気が続いていたのが嘘のように青空が広がり始めた。盛岡に近づくにつれ、空は晩秋の深い青空に変わっていった。岩手町に入ったころから、行く手に姫神山と岩手山が姿を表し始めた。撮影ポイントを探しながら車を走らせていると、国道沿いの小高い丘に、山の神のような小さな鳥居が見える。車を停めて上ってみると、秋景色の中に、東には姫神山が美しく裾をひき、西には冠雪の岩手山が雄々しくそびえている。

岩手山と姫神山は夫婦だったが、岩手山は姫神山から不実をなじられ、そのため姫神山を遠ざけてしまったという。そのため、岩手山か姿を見せる日には姫神山は姿を隠し、姫神山が美しく姿を見せるときは岩手山は雲の中から姿を見せないとされるが、この日は、山神様を間にし、岩手山は雪の冠をいただき、姫神山は美しい裳裾をひき、姿を見せていた。

今回の天気には恵まれなかった旅で、これが放浪の神様が見せてくれた絶景のようだ。

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