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2012/11/03
昨日、新庄で仕事を一通り終えて、長躯青森の碇ヶ関まで走り、道の駅にお世話になった。この日は、黒石市周辺を周り、できれば夏泊半島まで行きたいと思っていた。
車中目を覚ますと小雨が降っており、日の出の時間は過ぎているのだが薄暗い。とにかく、この日予定していた大鰐の茶臼館跡に向った。幸いなことに着いたころには取り合えず雨は止んだ。足場は悪いが委細かまわず上り始めた。
茶臼山は、古くは蝦夷の城塞のチャシがおかれていたと伝承がある。この地は、羽州街道と津軽街道の分岐点にあたり、古代においても交通の要衝であり、大和勢力と蝦夷勢力の接点の地にあたる。
茶臼山は、大鰐温泉のすぐ南側にあり公園となっている。館跡は尾根先端部の山頂部にあり、自然地形を上手く使っているが、中世的なことさらな技巧は見られない。城域はせまいが、物見的な役割には十分であり、中世には、この地の北側の南部氏津軽の拠点城の石川城の出城だったのかもしれない。
前日まで、仕事で山形県内をまわり、各地で見事な紅葉に心惹かれていたが、荒れ模様の天候もあり、じっと我慢でここまできた。天気予報ではこの先天候は今一つだが、ここから先は存分に紅葉を楽しみながら津軽路を歩きまわるつもりだ。
歴史散策⇒白岩森林公園
歴史散策をしていると、時折、思いがけないところで美しい光景に出会うことがある。白岩公園もそのようなものの内の一つだった。
天気は小雨が降ったり止んだりで、今一つすっきりしないが、この時間まですでに数ヶ所周っていた。途中のコンビニで買った弁当を食べようと、次の目的地に向って走りながら、適当な場所を探していた。そのときたまたま、この「白岩自然公園」の看板を見つけハンドルを切った。
美しい紅葉の中での朝食はまた格別なものがある。青空の中の紅葉は、鮮やかな光を注いでくれるが、曇り空の紅葉は、くすんだ茶色のフィルターをかけたように見え、それはそれでしっとりとした落ち着いた空気で包んでくれる。
朝食をすませ、車を進めていくと、管理棟のような建物があり、脇に案内板があった。降りてみると、なるほど白岩が美しく連なっている所があるらしい。道なりに進むと、それは探すまでもなく見つけることができた。
真っ白な凝灰岩の大きな露頭だ。あたかも地面から湧き出した雲のように白く波うち広がっている。その白雲の縁は紅葉で彩られ、カラフルな刺繍糸で縁取ったようだ。さらに道を奥に入り、紅葉の山を心行くまでカメラに収め、次の目的地に向った。
歴史散策⇒盛美園
各地方には、その地の地主の屋敷や庭園が今も残っており、この盛美園もその一つである。私の住む宮城県では、齋理屋敷や齋善屋敷、前に訪れた金木町の斜陽館もそうだ。
かつて、GHQからの命令で農地解放が行われ、それは民主主義による正義であり、地主制度は「悪」であったとする考えが一般的になっている。しかしそうなのだろうか。
封建制度の中で、地主達の中にはあくどい事を行ったものもいただろう。しかし地主屋敷や庭園を眺め、その事跡を調べると、地域の産業文化を振興し、また地域の雇用を支え、地域経済の中心として存在していた姿が見えてくる。その地域の富の象徴が各地の地主屋敷や庭園なのだと思う。
庭園は、梵珠山や岩木山を借景として築かれたというが、この日は残念なことに小雨交じりの曇り空で、それを見ることは出来なかった。晴れていれば、岩木山までの広い空間が広がるのだろう。しかしこの庭園には、他には余り見られない建物があった。
隠居所として建てられたという洋風の建物だ。ミスマッチにも思えるのだが、青い屋根のその建物は、この庭園にミスマッチどころか上品な趣すら与えている。またこの盛美園には驚くものがあった。
この日は、運が良いことに、その「驚くもの」を見ることができた。それは黄金と螺鈿と蒔絵で装飾された仏間だった。私はこれ以上のものは、金色堂の内陣以外には見たことがない。特に左右の壁面に大きく施された蒔絵は見事で、国宝級のものと思われた。
100年少し前には、日本は地方にもこのような文化があり、また経済もその地域地域で盛んに回っていたのだ。かなり山深い地に行っても、山神様の祭りなどの写真には、驚くほど多くの人々が写っている。かつての地方の富はどこに行ってしまったのか、また当時と比べて、今の世の中は、果たして良くなったと言えるのか、次の目的地に向う車の中で考えてしまった。