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2012/11/01 昨日は、会津から白河、郡山、二本松を回って、福島県内の仕事を終えて山形県入りするはずだったが、二本松での仕事を残してしまい二本松での宿泊となった。それでもどこであっても、出張での楽しみの歴史巡りは欠かせない。旅館でノートパソコンを開き、未訪問ヶ所を調べ、この地の霊場の「岩角山」を中心に数ヶ所周ることにした。 途中、伊達政宗に滅ぼされた畠山氏の菩提寺の称念寺を見つけた。畠山氏の墓もあるらしい。スルーはできない。畠山氏は鎌倉幕府草創期の武将畠山重忠を祖とし、北朝方とし奥州に下向し、この地で南朝方の伊達氏、田村氏らと対峙した。その後、次第に衰えたが、奥州管領としての格式を保持し、二本松の地では一定の勢力を保った。 戦国期には強大化した隣国の伊達氏とは親密な関係を築いていたが、伊達氏の内訌の天文の乱後、伊達宗家が米沢に引いた後は、塩松の新興勢力の大内定綱と結び勢力を維持していた。しかしその大内氏が伊達氏に背き伊達政宗に攻められ破れ、大内氏に与した畠山氏は伊達氏に和をこうたが受け入れられず、窮した畠山義継は伊達政宗の父の輝宗を拉致し逃げる途中、伊達勢に追撃され討たれた。その後本拠城の二本松城も攻められ、大名としての畠山氏は滅亡した。 この日も天気はあまり良くはなかった。深い朝霧の中、国道459号線を東に少し走り、阿武隈川を渡るとすぐに県道を南下し、迷うこともなく岩角山に着いた。深い霧で、写真を撮るには光が足りないようだ。駐車場で途中買ったおにぎりを食べてしばし時間待ちだ。 岩角山は慈覚大師が開いたこの地域有数の霊場だ。「霊場」というからにはさぞかし深山幽谷の地だろうと思っていたのだが、市街地からさほど離れているわけでもなく、訪れる者もそれなりに多いのだろう、駐車場が整備され、周辺は公園化されている。 しかし、山麓の寺の建物から奥に進むと、そこはまさしく深山幽谷の霊場だった。巨石が重畳と続き、全山にわたってその巨石には観音像を始め、さまざまな仏達が線刻されている。この地の岩石は花崗岩質の固い石質だ。その労力たるや気が遠くなるような作業だったはずだ。 人々は、経を唱えながら、果てしなくのみをふるい、次の世代にと延々とつないで行ったのだろう。この山中の巨石はただの石ではない。石の芯まで刻んだ人々の祈りがしみこんでいるのだ。深い霧の中、木々に覆われた薄暗い山中からは、静かに経を詠む声が聞こえてきそうだ。 山頂部には小さな堂があり、やはり鬱蒼と木々が茂っている。山頂からの眺めなど良いはずもない。しかしこの山はそれで良いのだ。いやそうでなければならない。山頂から少し下りふりかえると、先ほどの小さな堂が、逆光の中で輝いていた。

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