岩手県大船渡市猪川町字長谷堂

震災前取材

 

長谷(ちょうこく)寺の歴史は古く、坂上田村麻呂の創建と伝えられる。
胆沢、紫波方面で蝦夷を討伐した坂上田村麻呂は、大同年間(806~810)、気仙方面に向かい、赤頭と呼ばれ恐れられていた金犬丸を滅ぼし、その首を埋めた墓上に御堂を建て、十一面観音を祀ったのが初めと伝えられる。

天慶9年(938)、石山寺の淳祐学匠を勧請開山し、寺号も長谷寺と改め、布教の傍ら学問を伝授し、施薬を行うなど、この地方の文化の中心として重要な役割を果たした。

南北朝時代以降、一時地頭職の江刺氏の庇護を受けたが、戦乱や火災のために衰運をたどった。

寛永2年(1625)に現在地へ移転再興し、宝永元年(1704)、観音堂が再考され、翌年には本堂も再建された。このとき、埋没していた鬼の牙33枚が掘り起こされたという。現在の観音堂は享保元年(1716)に再建され現在に至っている。

平安末期の作と言われる如来坐像と鎌倉時代作と言われる三躯の十一面間菩薩立像が岩手県有形文化財に、十一面観音菩薩立像、不動明王立像、聖徳太子立像、如来仏頭部がそれぞれ大船渡市有形文化財に指定されている。