震災前取材

岩手県住田町下有住十文字

 

別名:下有住城
外舘城は、応永年間(1394~1427)、葛西氏の家臣の紺野美作守が築城したと考えられている。 紺野氏は、古代、気仙地方に居たとされる金一族の流れで金野ともいわれる。天正年間(1573~93)葛西氏が奥州仕置で没落すると、気仙地方から遠野へ流れ、行方不明になったとも伝えられるが詳細は不明である。
また遠野の阿曽沼広長は、南部氏の謀略により気仙落ちし、伊達政宗の支援を受けて遠野奪還を試みたが、この地の兵を率いて奪還戦を行ったとも伝えられ、また これに対して、遠野の鱒沢広勝は、気仙勢の機先を制すため、この下有住に攻め入ったとも伝えられる。
東西30m、南北40mの本郭を中心に、三段の土壇が取り巻いている。苗代沢より水を引き、中腹から水路を通して気仙川に排水するなど、すぐれた技法で築城されている。また唐沢稜線を一巡する馬場造成など大規模なものも見られ、代々の城主により整備されたものと思われる。

城跡の中段に萬福寺があり、紺野美作守に関係があると考えられている。

1 thought on “外舘城跡

  1. 盛岡在住の紺野と申します。
    萬福寺は、曾祖父の眠るお寺で、調べてるうちに、こちらのサイトに行き当たりました。
    大変勉強になりました。

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