震災前取材

岩手県陸前高田市気仙町字的場

 

この橋が架け替えられる前の藩政時代には「今泉大橋」と呼ばれていたが、架け替えられたときに「姉歯橋」と改称された。
くりはらや あねはのまつの ひとならば
みやこのつとに いさといわましを … 在原業平
歌枕でも名高い「姉歯の松」の伝説の、朝日姫と夕日姫は高田の武日長者の娘としてこの地で育った。
用明天皇のころ、全国から宮中の女官・采女(うねめ)を募り、陸奥国からは、この地の武日長者の娘朝日姫が選ばれた。朝日姫は都への旅の途中体をこわし、宮城県栗駒の姉歯の里でついに命を落とした。
その後、妹の夕日姫が代わりに都に上がることになり、夕日姫は、旅の途中姉の墓に立ち寄り、墓に松を植え都へ向かった。里人はこれを姉歯の松と呼び後世に伝えたという。
この地は現在の国道45号線にあたる「浜街道」と、一関へ抜ける「今泉街道」の合流点にあたり、都に旅立つ朝日姫と夕日姫が、高田に別れを告げた地であろうと、「姉歯橋」と名付けられたと伝える。