岩手県葛巻町葛巻

2016/09/27取材

この地には、馬淵川の名前の由来として、次のような伝説が伝えられている。

むかし馬淵川の上流に、伝次という豪族がいた。伝次は日頃飼いならした黒毛の名馬「俊涼」をたいそう可愛がっていた。そのため近所の人達は彼を「黒馬伝次」と呼んでいた。

伝次は三戸の長者の娘「小夜」と一緒になったが、小夜はわがままで、田舎暮らしを嫌い、頻繁に実家に帰り、伝次との間はうまくいっていなかった。

ある年伝次は、殿様に調馬師として召しだされた。伝次の馬を扱う勝れた技は、並みいる人々を驚嘆させる素晴らしいものだった。その殿様に仕えている侍女に小波という娘があったが、いつしか伝次と小波は互いに惹かれるようになった。

翌年の春、伝次は戻ることになり、小波もともに伝次の屋敷に入った。当然小夜は小波を快く思うわけはなく、何かというと小波をいじめ、それは手段を選ばぬといった有り様だった。妻のある男を恋してしまった小波は、それに耐えるしかなかった。

ある日、小夜は要件にかこつけて伝次を三戸へ追いやった。そしてその留守中に、蝮を一杯入れた長持ちの中に小波を無理やり押し込め、マベツ川に流してしまった。しかし長持ちはなかなか川下に流れずに、七日七夜も上がったり下がったりしていたが、やがて淵深く沈んでしまった。

伝次が屋敷に戻ってみると、愛する小波の姿がみえず、誰もその行方はわからなかった。思い余った伝次は、愛馬の俊涼に「おまえは賢い馬だ。一生に一度のお願いだから、小波の居場所を教えておくれ」と頼んだ。俊涼は悲しい目つきをして、二三度微かに嘶くと、伝次の袖をくわえて、屋敷の上流の淵まで行った。

すると淵の向こう側で小波が髪を洗っていた。伝次が呼ぶと悲しそうに、しかしニッコリ笑って見せたが、すぐ淵の漣に消えてしまった。伝次は、もはや小波はこの世の者でないことを悟り、悲しみのあまり、小波を追ってその淵へ身を投じた。それを見た俊涼は、一声嘶くと家の方向へ全速力で駆けていき、小夜を蹴殺し自分もその淵に飛び込み二度と浮いてこなかった。

それから、その淵は誰言うとなく「馬淵」と呼ばれるようになり、その川は「馬淵川」と呼ばれるようになった。

それから何百年も経った明治の少し前、ある村人が「馬淵」で髪を洗っている女を見たという。女は小波の霊で、このことは決して他言しないでくれと言った。村人は約束を守っていたが数年経ってから、野良仕事をしながら何げなく話してしまった。その晩、その村人は死に、胸には馬の足跡がついていたという。