岩手県葛巻町城内小路

2016/09/27取材

昔、村人たちが畑で仕事をしているとき、天空に異様な風の音がした。村人たちが空を見上げると、南の空から七色の旗が風に乗って飛んできて、この地に次々に落ちた。

不思議なことがあるものと思っていると、この日は応神天皇が崩御した日であることがわかり、人々は恐れ、旗の落ちたこの地に小堂を建て応神天皇を祀ったという。

その後の天正20年(1592)、この地に南部信直により八幡宮が建立された。

南部氏二十六代信直は、天文15年(1546)に一方井村に生まれ、後に三戸田子城に移り、田子九郎と称していた。その頃、三戸南部氏の世継ぎ問題などで、南部晴政と確執があり、九郎は騒動を避けるため、永禄5年(1562)の春、名久井、軽米、葛巻を経て小本村に旅をした。

その帰途、国境峠に差し掛かった頃に病におかされてしまった。主従はなんとかこの葛巻山のふもとまでたどり着き、遠藤佐渡の屋敷に身を寄せた。しかし妙薬もなく、はかばかしくなかった。

供の小本土佐が、源氏代々の信仰神への祈願を勧め、葛巻山の中腹に祠を建てて、八幡宮の大麻を一心に礼拝した。すると信直の病は日ごとに快方に向かい、一月余りで全快し、無事に田子に帰還することができた。

その後、九郎信直が三戸南部を継ぎ、これを不満とする九戸の乱もおさめ、南部藩の基礎を確立した。

九郎信直は、南部藩も安泰になった天正20年(1592)、小本土佐に宮守を命じ、葛巻山の中腹を整地し、大麻八幡宮を建立したと伝えられる。