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宮城県栗原市金成

震災前取材

 

この稲荷社は、おこや姫がみちのくへの道中の守護神の「稲荷大明神」を氏神とし勧請したのが始まりとされる。

平安時代末期に、この金成畑に炭焼きを生業とする正直者の藤太という若者が住んでいた。その頃、京の都には、三条右大臣道高の娘おこや姫がいた。

おこや姫は年頃になっても良縁がなく、清水寺の観音様に七日七夜の願をかけた。満願の夜、夢の中に観音様が現れ、「あなたの夫は、みちのくの金成の炭焼き藤太という者です。その地を訪ねて夫婦になりなさい。」とのお告げがあった。

姫は親に許しを得てみちのくに旅立つことになり、そのときに路銀として砂金と、道中の守護として、伏見稲荷神社のお札を懐中に入れてみちのくに下った。

姫は無事みちのくに着き、藤太とも出会い夫婦になり仲むつまじく暮らした。藤太はおこや姫から砂金の価値を教えられ、この地でとれる金を京に運び商いをし長者となり、吉次、吉内、吉六と三人の子供にも恵まれた。

長男の吉次は、その後藤原秀衡のもとで金売りをし、源義経を平泉に伴ってくることになる。