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宮城県栗原市金成姉歯道才沢

震災前取材

 

姉歯下館は、姉歯上館とともに、姉歯氏の城館である。

下館の主郭は南北十八間、東西三十六間、二ノ郭は南北三十間、東西三十八間とされ、南面は急峻な崖で、東側も深く急な斜面で自然の要害を形成し、空堀、土塁なども現存している。

平安時代には平氏姓の姉歯氏が居館としていたが、平泉の藤原泰衡の時代には、その家臣として姉歯平次光景の名が見られる。

その後、この地では南北朝期に南朝方の葛西氏と北朝方の大崎氏が争い、その後も葛西氏と大崎氏の拮抗する地だった。この地には両勢力により盛んに城館が築 かれた。

平泉藤原氏滅亡後も生き残った姉歯氏は、大崎氏に臣従していたようで、館主は、光景の後裔の姉歯右馬允と伝えられ、子孫は奥州仕置きにより大崎氏が滅亡するまでこの地にあったと考えられる。

大崎氏滅亡後は定かではないが、伊達氏に臣従した流れもあったようで、戊辰戦争の際に、西軍参謀の世良修三を暗殺した姉歯武之進はこの後裔である。