宮城県仙台市太白区秋保町長袋二ノ輪山…向泉寺

 

秋保地区には古くから平家の落人伝説が伝えられているが、小松観音もその内の一つである。

平家一門は壇ノ浦の戦いで滅亡したが、小松内大臣平重盛の曽孫、長基は曽祖父の崇敬していた中国渡来の念持仏である阿弥陀如来像と画像を奉じ、山伏姿に身をやつしこの地に落ちのびた。長基の孫である俊盛は、この地に小松寺を創建し阿弥陀如来を祀った。阿弥陀如来は重盛にちなんで小松如来と名付けられた。

また、同じ平家一門の平貞能(さだよし)は、長基が持参した如来画像を奉持し、大倉に移り名を定義(さだよし)と改めた。西方寺を定義如来というのはこれに由来する。

重盛の子孫はその後七代盛定の時から秋保氏を名乗るようになり、十七代秋保勝盛の代に小松寺を向泉寺と改め、秋保氏の菩堤寺とした。秋保氏はその後伊達氏に属し、秋保定盛は元和元年(1614)、大阪の夏の陣で武勲をあげたことを記念し、寺内に百日紅(さるすべり)を植えている。

寺内にはこの重盛の守本尊阿弥陀如来像の他に、平重盛の位牌も安置されている。

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