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宮城県仙台市太白区根岸町

  この古墳は、円筒埴輪を持つ帆立貝式の前方後円墳と考えられる。現状は直径約50米の三段築城の円墳状になっており、一部市道で削り取られているが後円部にあたるものと思われる。墳頂は標高約22m(比高約5.5m)、主軸の方向は北西-南東で、古墳の造営年代は5世紀後半と考えられる。 この地は、かつて北上する鎌倉軍と平泉軍との戦いがあった場所で、そのとき平泉側の大将の大河太郎兼任が討ち死にした。その首を敵に渡すまいとして平泉の兵が兜と共に埋めたという伝説があり、これが兜塚の名の由来の一つと言われている。 また仙台城下造営の折に、普請役の小人組が反乱を起こし打ち首となった。その首をここに埋めたのがコビト塚となり、その後カブト塚となったという説もある。