宮城県仙台市若林区連坊一丁目…栽松院

 

栽松院は、仙台藩初代藩主伊達政宗の祖母の久保姫(栽松院)の菩提供養のために、慶長8年(1603)、政宗が建立した位牌寺であり、この地に残るシラカシの古木は、伊達政宗が毎日遥拝した樫の木と伝えられる。

政宗は、幼いときに疱瘡を患い、片目を失い、容貌が怪異であったためか、母の義姫から疎んじられ、幼児よりの養育はもっぱら久保姫が行ったという。政宗はこのことからか、祖母の久保姫を終生慕っていた 。

政宗は、久保姫が没した跡、仙台城本丸から望むことができる常緑のこの木のあるこの地に、久保姫の位牌寺としての栽松院を建立し、朝夕に仙台城の本丸からこの樫の木を目当てに遥拝したと伝えられる。

毎年、久保姫の命日である6月9日には、歴代藩主は行列でこの木の下を通り追善供養するのが慣わしであった。この大樹には通路を塞ぐように大きな気根があり、あるとき、伊達家の家臣たちの間で、このままでは日傘をさして藩主がこの下を通ることができなくなるとのことで、この気根の内の一本を切る話が持ち上がった。このことを聞いた殿様は、藩祖政宗公が遥拝した木を、たとえ気根の一本であっても伐る事はまかりならぬと言い、日傘などささなくとも良いし、気根がさらに大きくなったら這って通ってもかまわぬと言ったという。

幕末の頃、この樫の大樹は雷にあい、さらに昭和には仙台空襲の戦火にもあい、かつては大の男5人が手を広げ巻くほどの大樹も、表皮を除きその幹の大部分を失った 。しかし次第に残った表皮が巻き取るように幹を形成し、今なお青々と境内に生き続けている。

推定樹齢1200年と言われ、仙台市の名木に指定され、3本の支柱に支えられながらも、久保姫と政宗の歴史を今に伝えている。

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