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宮城県東松島市大塩字樋口

震災前取材

 

太郎坊清水は昔から深谷の名水として知られた清泉である。太郎坊とはこの地の地名で、かつてこの地の近くの隆泉寺の一坊舎跡とも言われている。またこの清水は「一杯清水」ともいい、一杯汲んでもまた一杯と湧き、決して水位が変わらなかったためとも伝えられる。
この泉は、旧往還気仙道が通っており、「喉が渇けば一杯清水」と詠われ、旅人たちの喉をうるおした。

この泉には、下のような伝説が伝わる。

この地におじいさんとおばあさんが住んでいた。おじいさんが山で木を切っていると、足元の岩陰で、ゴボンゴボンと音が聞こえた。なんだろうかと思い岩陰を見ると、岩のさけ目からきれいな水が湧いていた。おじいさんは仕事でのども渇いていたので、水を手ですくって飲んでみると、なんとも言いようのない気分が体の中から湧いてきて、疲れもいっぺんに吹き飛んだように感じた。いつもよりうんと働いて、薪をどっさり背負って家に帰った。

家に帰るとおばあさんが驚いて「あれ、どこの若い者だべ、じさまによく似た若いもんがきたでば」と腰をぬかしおどろいた。おじいさんは「なにをびっくらこいている。おれはおめえのじんじだ。今山からもどったとこだ」
おじいさんはどさっと薪をおろすと、水がめの水を飲もうとすると、水に写ったおじいさんの顔は、二十歳ばかりの若者だった。「あれえやあれえや」おじいさんも腰をぬかさんばかりに驚いた。

どうしたことかと考えれば、あの清水のおかげだと合点がいった。あの水を飲んでからいい気分になり、いつもよりうんと働くことができて、山ほど薪をとってきた。それになによりも腰がぴんとして、体一杯に精気がみなぎっている。あの清水はありがたい水だと思った。このことをおばあさんに詳しく話すと、おばあさんは胸をはずませ「そんならば明日、おらもつれてってけさい」と言った。

おばあさんは夜が明けるのも待ちかねて、まだ朝日が昇らぬうちに、仕事もそこそこに一人で山へ出かけた。その日おじいさんはおばあさんを待っていたが、なかなか戻ってこない。おじいさんは、おばあさんが山の中で探しあぐねて迷っているのではと心配になって、清水のところに行ってみた。するとオガオガと泣く赤子の声がする。よく見れば、なんとおばあさんが赤子になって岩にしがみついて泣いていた。

どうやらおばあさんは、うんと若返っておじいさんをびっくりさせようと、清水を飲みすぎたらしい。おじいさんは「ばさま、ほどほどにしろや」と言いながら赤子のおばあさんをおぶって家に帰った。

それから後、このあたりの人々は、正月の元日には、この清水を汲んで、年神に供えたり、もちをついたり飯をたいたり、茶を点てたりするようになった。それでも誰言うとなく、「ここの清水はたんと飲んじゃいかん。一杯だけじゃ」と言うようになった。