宮城県南三陸町入谷字たら葉沢

 

普門院は、熊野那智に松山朝臣山谷卿という公家がおり、出家し諸国行脚中に郷里の山河に似ている入谷の里にひかれ、応永2年(1395)に開山したと伝えられる。その後五代続いた後、火災にあい、大雄寺三世和尚によって元和元年(1615)に現在地に再興したと云う。また、この寺の麓に庵を結んだある僧は、河原で石を拾っては一石に一字づつ経を書き入れ、昼夜四季の別なくこれを続け、ついに弥陀薬師観音の経三千三百三十三巻すべてを一字一石経として納め、石塚に築いて供養したと伝える。

この寺には下のような話が伝えられている。

山中に住む山姥が難産で困っているのを普門院の道入和尚が助け、その御礼として山姥から普門品(観音経)を授かったといい、その山姥を祀ったのが蔵王権現だ云う。

また別に、里の者が山姥を助け、その御礼として反物を貰った。この反物は一日に五尺切っても翌日にはもとの長さに戻る「万年機」だった。あるとき家人が反物を解いてみると、中から金蛇が出てきて、山中の清水の湧き出ているところで死んだ。里人はこれを蛇王権現として祀ったと云う。

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