岩手県宮古市蟇目第一地割

震災前取材

 

牧庵鞭牛は、宮古の和井内出身で、釜石の林宗寺の住職であったが、46歳で引退し、その後の天明2年(1782)72歳で没するまでの生涯を、道路改良の社会奉仕に捧げた。

この石碑は、宝暦8年(1758)に行われた、閉伊街道十悪難所改良工事のうち、四番目の「熊の穴」と呼ばれたこの地に建てられた、鞭牛和尚自筆自刻の供養碑である。

この地は、閉伊川に面した難所で、岸壁が連なり、岩頭の松の木から垂らした縄にすがり、足場を探して横断するしかなかった。

鞭牛和尚らは、この岩場を開削するのに、岩を火で熱し、水で急激に冷やし、できた割れ目をツルハシやカナテコなどの工具で砕くという、当時としては画期的な「浮金」と呼ばれる方法を用いたと云う。この方法で、この難所を開削し、1.5~1.8mの道幅を確保したと伝えられる。

この閉伊街道は総延長109kmに及び、現在の国道106号線はこの街道を元に整備されたものである。