岩手県釜石市唐丹町字大曽根

震災前取材

 

伊能忠敬は、海岸線を測量をし、9月にこの唐丹の地にいたり、北緯39度12分と測量した。

この事跡を、この地の地理学者の葛西昌丕(まさひろ)が顕彰し、また測量術の伝来経緯と、西洋天文学の説による緯度の微動あることを予測、後世の人にその観測を託し、碑を建立した。

また昌丕は、北緯の度数を中心に、その周りに黄道十二宮と十二次といわれる星座名を交互に配列、石に刻してこの地に残した。

昌丕は、明和2年(1765)に、この唐丹村に生まれた。長じて仙台城下に遊学。国学と天文暦学を学び、仙台藩の天文暦学に重きをなした。葛西家は旧家であり、昌丕は、天保4年(1833)の飢饉に新畑の開発や道路開削の事業を興し、村民の飢えと貧困を救ったと言われている。