岩手県矢巾町煙山

2013/04/28取材

 

南昌山は、標高848.0mの山で、かつて活動していた火山が風化浸食を受け、火道が露出した岩頸と呼ばれる地形で、約439~461万年前の鮮新世に、基盤に貫入した主に石英斑岩からなる岩体と推定される。岩の鐘を伏せたような均整のとれた形をしており、坂上田村麻呂の時代から霊山として敬われており、宮沢賢治が何度も訪れ、その作品の「銀河鉄道の夜」の舞台となっていることでも有名である。

南昌山は古くから天候を司る霊峰として地元の信仰を集め、この地方では「南昌山が曇れば雨が降る」と言い伝えられている。南昌山の山中には白竜が棲んでいて、暴れると雲が峰を覆い、毒気で人々を苦しませたという伝説がある。

元禄16年(1703)に天候不順が続き、空念という僧が竜を鎮めるために頂上に青竜権現の祠を建て、それまで毒ヶ森と呼ばれていた本山を、空念の推挙によって、南部藩主南部信恩が南部繁昌を願い南昌山と改名したとされる。

また、岩手県の県名の語源になった鬼の伝説では、石神の「三ツ石様」に退治された鬼はこの南昌山へ逃げ去ったと伝えられる。

前九年の役の際には、安倍貞任が衣川から源義家に追われ、この南昌山の麓までたどり着き反撃を試みたが、安倍勢はここでも多大な犠牲を出し、安倍勢の名のある武将たちが亡くなったと云われる。

これらの多くの伝説をもつ南昌山は、宮沢賢治にとっては、異界と接する地でもあり、賢治は、盛岡中学の寄宿舎で同室であり、この地の山麓に住む友人の藤原健次郎と、休みの日には南昌山を訪れ、水晶やのろぎ石などを採集し楽しんだ。

健次郎は野球部の4番バッターとして活躍したが、遠征の帰り大雨に濡れ、腸チフスにかかり急逝した。賢治は大きなショックを受け、後に健次郎との思い出を、「のろぎ山 のろぎをとりにいかずやと またもその子にさそわれにけり」「のろぎ山 のろぎをとればいただきに 黒雲を追ふ そのかぜぬるし」という詩に残している。童話「鳥をとるやなぎ」に登場する石原は、賢治が健次郎と石を拾い集めた場所で、現在は煙山ダムの湖底に沈んでいる。

その他、賢治が記した「東京ノート」の盛中二学年一学期の欄に「藤原健次郎 南昌山 水晶」というメモがある。中でも天国の健次郎に自分の思いを伝えるために書いた大作「銀河鉄道の夜」の舞台は南昌山であり、ジョバンニは、南昌山頂上の、雨乞いの石柱である「天気輪の柱」の下から、天国のカムパネルラのもとに出発した。

また賢治は、岩手県内の32の山々を経埋(きょううず)ムベキ山として記録しており、埋経の箇所を示唆するものと言われており、南昌山もその一座になっている。後の研究により、これらの山々は、はくちょう座、わし座、たて座、いて座を表していることが指摘されている。現在、山頂には他の31山と同様に、山頂に経典が厳重に埋蔵された。

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