岩手県北上市立花

2014/05/10取材

 

別名:陣ヶ森

陣ケ丘は北上川左岸の比高約30mの独立丘陵に築かれた陣城である。北上川に和賀川が合流する地点の東にあり、北と西側は絶壁となっている。城域は、東西約160m、南北約86mである頂部の主郭を中心に、東側に二の郭、南側に不規則な段郭を配しており、主郭と二の郭の北・東・南側には空堀が巡らされている。

康平5年(1062)、前九年の役の際に、源頼義が、対岸の安倍五郎正任の居城の黒沢尻柵を攻撃するさいに築いたと伝えられる。中世にはこの地は、和賀氏と葛西氏の境目になっていることから、和賀氏が北上川運行の監視と、葛西氏やその家臣の江刺氏の侵入に対する警備のために「国境い」の重要拠点として取り立てた。

しかし和賀氏も葛西氏も、天正18年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めには参陣せず、奥州仕置きにより領地は没収され、大名家としては没落し、和賀郡は南部氏の領土、江刺郡は伊達氏の領土となった。この陣ケ丘の南側の間の沢がその境界線となり、藩境塚が築かれ、川向いの鬼柳と相去の間に関がもうけられた。陣が丘は、江戸時代の伊達藩と南部藩の藩境を決定する大きな要因となった。

大正9年(1920)、この地の景勝が注目され、一帯に桜が植えられ、展勝地公園と名付けられ、昭和29年(1954)の北上市制発足とともに市立公園となっている。