岩手県花巻市石鳥谷町松林寺第1地割

2017/05/14取材

 

松林寺の創建は仁寿元年(851)、染殿(文徳天皇の后・清和天皇の生母)が懐妊した際、地蔵菩薩の功徳により安産を得、全国66ヶ国に各1体の子安地蔵尊を安置した。松林寺はその時の一ヶ寺とされる。

染殿后は、藤原良房の娘の藤原明子である。明子の産んだ惟仁(これひと)親王が皇太子となり後に清和天皇となり、結果的にこのことが藤原氏に摂関政治をもたらす一つの要因となった。

安産、子育ての地蔵として一般庶民にも崇敬され、縁日には近郷近在はもとより、盛岡や雫石、胆沢、江刺、遠くは仙台、秋田などからも参詣者があり、境内には市も立ち、大変賑わった。

歴代領主から庇護され、特に江戸時代に入ると、盛岡藩主南部氏の保護により堂宇の造営や寺領の寄進、安堵が行われている。天文年中(1532~54)、火災により堂宇が焼失し一時衰退したが、二代藩主南部重直の命により慶安5年(1652)に堂宇が再建された。現在の御堂は明和5年(1768)に再建されたもので、内部には土造地蔵尊1400体余の他、狩野休意、小野寺周徳、八重樫豊澤などの絵馬が奉納されている。