岩手県花巻市大迫町内川目

2017/05/13取材

 

田中神社の神主山陰家の祖先に、兵部成房という猟師がいた。成房は大同2年(807)3月、残雪を踏んで早池峰山麓で狩猟した。ところが麓に至り、額に金星のある雪のように白い鹿が現われ、この奇鹿を追っている間に早池峰の山頂に到ったが、奇鹿は岩窟の前で忽然と消え失せ、その鹿は見失ってしまった。

山頂で、遠野から来たと云う四角藤蔵なるものと出会ったが、藤蔵もやはり白鹿を追ってきたといい、二人は大いに驚き、これは早池峰山の神霊が、白鹿に姿を変えて、自らの祭祀者として、藤原成房と四角藤蔵の二人を山頂に呼び寄せたのではと話し合った。二人は深く感激し頭をたれ礼拝し、雪が消えたら山頂に宮を建立することを約し下山し、雪が消えたその年の6月に山頂に一宇を建立した。

また成房は、郷にもどり里人にその事を告げ、浄地を選び一宇を建立して瀬織津姫大神を招請し、郷の名を冠して真中明神と崇めた。成房はそれ以来狩猟を断ち、自ら神主となって神明の祭事を行った。

その後、真中も開田されるに及び、人々も多く移り住み、社号も田中明神と改められ、現在に至っている。

山陰成房は、藤原氏の流れで、藤原鎌足を遠祖とする藤原実房の子であるとされる。実房の時に大迫郷に到り、この地に在住したとされる。

この時代は、中央では薬子の変があり、また藤原一族も一枚岩ではなく、多くの系統に分岐しており、それぞれの系統での争いがあったと考えられる。