岩手県遠野市綾織町新里第三十一地割
震災前取材
江戸時代、高冷地の遠野は、しばしば凶作に見舞われ、宝暦5年(1755)とその翌年、天明2年(1782)などの大飢饉には、多くの犠牲者を出した。
この宝暦の飢饉に心を痛めた大慈寺の義 山和尚が、飢饉の犠牲者の供養のために、明和2年(1765)から数年がかりで、山中の自然石に五百体の羅漢像を刻んだと伝えられる。
岩手県の歴史散策街歩き
震災前取材
江戸時代、高冷地の遠野は、しばしば凶作に見舞われ、宝暦5年(1755)とその翌年、天明2年(1782)などの大飢饉には、多くの犠牲者を出した。
この宝暦の飢饉に心を痛めた大慈寺の義 山和尚が、飢饉の犠牲者の供養のために、明和2年(1765)から数年がかりで、山中の自然石に五百体の羅漢像を刻んだと伝えられる。