岩手県九戸村長興寺

2016/09/27取材

大名館は東へ低く伸びた舌状台地上に築かれており、館の規模は、東西約200m、南北約50mほどである。主郭は現在牧草地になっており、東西に長く緩やかな傾斜のある平地が広がっており、東側にも一段の削平地がある。かつては周囲を空堀が巡っていたとされるが、現在は西側に堀切が、北側に横堀を見ることができる。また、館の南側幡福川の上流から水路が引かれており、その水路跡が現存している。

築城年代は定かではないが、この館は九戸氏の祖の行連の館と伝えられ、九戸氏代々の居館だったと伝えられる。九戸政実は永禄12年(1569)石川高信らと鹿角に侵攻し、檜山城主安東愛季に奪われた鹿角の奪還に成功した。この功により、政実は加増をうけて、九戸城を築き移ったという。また、政実の四代前の光政の代に二戸に移ったとも伝えられる。

九戸氏が拠点を九戸城に移した後は、九戸氏の隠居所だったと伝えられている。