気仙沼大島の「みちびき地蔵」は、古くから、死者を極楽浄土へ導くという伝承があり、地元の方々からの信仰を集めていたようだ。今回の大震災で被災したが、多くの方々の協力により再建されたらしい。この地蔵には次のような言い伝えが伝えられている。
昔、この地の浜吉という名の子どもとその母親が、端午の節句の前日に、他所の田植えの手伝いに出かけた。夕方、その帰宅途中、この地蔵の辺りを通りかかった。その地蔵には、明日死ぬ者の魂が亡者の姿となって、天国に導いてもらえるように挨拶に来ると言い伝えられていた。
このみちびき地蔵の近くで、幼い浜吉は、疲れ果てて眠りこんでしまった。母親は日が暮れかけている中、浜吉を起こしていると、みちびき地蔵の前に、近所の婆さんが、ふわふわ浮かび上がりながら地蔵を拝み、空へ消えていく姿が見えた。母親は「あのお婆さんは病気だったからなぁ」と思い、手を合わせた。
しかし、その後ろには、事故にでも会うのか若い男が続き、さらにその後ろには、お産に失敗でもするのか赤ん坊を抱いた若い女が・・・母親は順番待ちで並んでいる人々を見ているうちに、やけに大勢の人々がお参りに来ている事に気付いた。亡者の姿になった大勢の村人や、馬や牛までもが、次から次へと挨拶に来て、天へと上っていった。
この様子を見た母親は「これは明日何かが起こるのかもしれない」と怖くなり、浜吉の手を引いて急いで帰宅した。母親は、この事を夫に話したが「狐にでも化かされたんだろう」と笑い飛ばされてしまった。
その次の日は、月の内一番潮が引く大潮の日だった。それもいつになく遠くまで潮が引いており、満潮近くの時間になっても潮が満ちる気配はなかった。浜吉親子や村中の人々が、浜辺で楽しそうに海藻を取っていたが、浜吉の母親だけは昨日見た事が頭から離れず、不安が募っていた。
すると遠くから地鳴りとともに山のように高い大津波が襲ってきた。浜吉親子は急いで松山に上り、3人とも助かったが、他の逃げ遅れた大勢の村人が津波にさらわれて亡くなった。母親は昨日見たことは本当だったんだと確信したと云う。
村の書きつけには、この津波で61人が亡くなり、牛馬6頭が死んだと記されている。みちびき地蔵には今でも花や線香が欠かさずに供えられている。
この話は、かつてテレビの「日本昔話」でも紹介されたようだが、私は伝説や昔話には、先人の多くの教えや警告が含まれていると常に思っているのだが、現代の方々の多くが、それを受け止めているだろうか。
大島で最も高い亀山の展望台に登り、南の方を見れば、西に小さな港があり、東に小さな入り江がある。東日本大震災の際には、津波は最初は東側を襲い、島を横断する道路沿いに進み、島を乗り越え、西側からの大津波と合流し渦をまいた。大島では、東日本大震災で31人の人々が犠牲になった。この亀山の中腹の古社大島神社に参詣し、この先のこの島の方々の多幸を祈った。