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2012/09/05
山岳修験道の名残を残す…岩根沢出羽三山神社

前日、仕事で福島から山形に入り、いつもとはその行程を変えたことで、寒河江市で宿泊となった。寒河江市は、山形の村山地方と庄内地方を結ぶ、六十里越街道の村山側の起点になる。

六十里越街道は、現在の国道112号線にあたり、かつては曲がりくねった山岳道路で、月山山麓を通るために、冬には通行止めになっていた。現在はトンネルができて、道も整備され、かつてのような難路ではなくなった。

この112号線の旧道は、ほぼかつての六十里越街道の道筋にあたり、一度走破してみたかったのだが、いそがしさにかまけて走破してはいなかった。この日は、日の出から仕事までの4時間ほどの時間で、じっくり走破するつもりだった。

六十里越街道は、湯殿山、月山への信仰の道であり、それに関わる宿坊や神社、寺院跡などが点在している。いわばまるごと神仏の領域なのである。手始めに西川町の岩根沢三山神社を目指した。

日の出少し前のこの地は、小雨交じりの深い霧に覆われていた。このような天候は嫌いなわけでもない。しっとりとした美しい光景に出会える期待もあった。霧の中、ライトを点けて国道112号線から北に入り岩根沢に向った。その先は月山の登山道となり、県道は出羽三山神社で行き止まりになっており、宿坊が何軒か並び、出羽三山神社も宿坊をかねているようだ。

かつては出羽三山信仰は、山岳修験道であり、神仏混交であったはずであり、それが明治初期に吹き荒れた廃仏毀釈で、神社として装いを変えざるを得なかったことも多かったのだろう。この出羽三山神社も恐らくはそのような歴史をたどったのだろう。

この岩根沢の出羽三山神社には鳥居がない。それは恐らくは当時の権力に対して面従腹背の表れなのだろう。権力がいかに大きな力で抑えようとも、人々の心までを変えることは出来ない。この鳥居がない「神社」はその証であり、また、この地の各所に残る弘法大師の伝説がそれを物語っている。

この地から、月山に登り湯殿山に向う善男善女にとっては、この地に鳥居があろうとなかろうと、湯殿山信仰が揺らぐものではなかったと私には思えた。

2012/09/05
月山登山道の謎の城館…要害森館跡

岩根沢出羽三山神社から、朝霧の景色を撮りたいと思い登山道に入った。登山道をしばらく走ると思いがけず館跡の解説板を見つけた。「要害森館跡」とある。

解説板によると、畝堀を配した戦国後期の城館で、最上義光に滅ぼされた白鳥氏系の城館らしい。さほど大きい城でもなさそうで、険しい館山でもなさそうだ。しかし夏草に覆われて地形はわからず、解説板にある畝堀も見つけることができない。入り口は見つけたものの、小雨の中の山道はいかにも歩きにくそうだ。

しばし躊躇したが、カメラを濡れないようにビニール袋に入れて「攻城」にかかった。外から見たほど楽ではないが、本格的な山城と比べればさほどのことはない。しかし雨粒を乗せた夏草は、靴の中、ズボンの中を容赦なく濡らしていく。

しかし、不思議な城だ。何を守ろうとしていたのか。一般的には城はその地域の交通の要衝にあるものだが、この館は主要街道からは外れ、月山への登山道沿いにある。その先には信仰の対象の月山、湯殿山があるが、それは巨大な自然の中にあり、人間が武器で守るようなものではない。

そしてふと思った。この館は戦うことが主な目的ではなく、いざというときに、月山、湯殿山に立ち退くためのものではないのか。この下の岩根沢の里は、月山、湯殿山の山岳修験道の里であり、強敵に攻められた際には、この館で敵を食い止め、その間に月山の懐に立ち退いたのではないのか。

館跡の最頂部に登ると、朝霧が立ち上る中に、月山の山々が重畳と連なっていた。

2012/09/05
小雨に煙る信仰と戦の道…六十里越街道

岩根沢から一旦国道112号線に出て、寒河江ダムの上流から112号線の旧道に入った。旧道とはいえ、現在も新道ともども国道となっており、曲がりくねってはいるが車の行き来も少なく、走りは快適である。

この六十里越街道は、古くから月山、湯殿山参詣のための信仰の道であるとともに、戦国期には、山形村山と庄内を結ぶ重要な軍道だった。最上氏と上杉氏は、庄内の覇権をめぐり、最上勢は幾度となくこの道を庄内に向った。また、関ヶ原の折には、上杉勢が庄内からこの道を村山に攻め込み、また最上勢は敗走する上杉勢を追撃し庄内に攻め込み、庄内を巡る上杉氏との争いに決着をつけた。

国道のところどころに古街道が残っている。それは思っていたよりも狭く急坂が多かった。信仰の道としては、この道を辿ることは神仏へ近づくための試練としてはふさわしいような気がしたが、最上氏や上杉氏の軍兵が、この難路を越えていくエネルギーはどこから来たのだろうか。

街道は庄内側に入るとなお一層厳しさをまし、急峻な岩肌を削り縫うように走っている。振り返れば越えてきた山々は、小雨の中に煙っていた。