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雄物川支流の玉川中流に位置し、全長は約10kmの渓谷。田沢湖抱返り県立自然公園に指定されている。

東北の耶馬渓の異名を持つ景勝地で、両岸の原生林と岸壁にかかる滝や独特の青い渓流が美しく、新緑と紅葉の名所として知られる。回顧(みかえり)の滝や棚懸の滝、巫女岩や茣蓙の石などの滝や奇岩など多くの見所がある。最も上流には神代ダムがある。特に紅葉のシーズンには多くの観光客が散策に訪れる。
その名は、地形が非常に急峻で狭隘なために、人がすれ違うときに、互いを抱き合って振り返ったことに因むといわれる。

また、この地の抱返神社には次のようにも伝えられる。

康平元年(1062)、前九年の役で、源義家が盛岡厨川の柵の安倍貞任を攻めるため、この地より玉川の川筋を進もうとし、川の流れの静かなることを願って持仏を祀って祈願した。

祈願を済ました義家は、再び持仏を懐にし厨川の柵を攻め勝利を治め再びこの地に戻ることができた。義家はこれは仏のお陰と改めて堂宇を建てて懐の持仏を祀ったという。

この祈願した持仏を懐にいれお守りとして持っていき、再び帰ってきたことから「懐き還る」「懐還神社」と言い伝えられ、この渓谷も抱返り渓谷と称されるようになった。

抱返村の開墾のはじめ、この地は天気が続き、その為水源が枯れて植え付けた苗が枯れ死ぬという騒ぎになった。これを聞いた佐竹藩主は、役人を遣わして検分し、聞きしにまさる悲惨な様子に、抱返の水源に雨乞いをしたところ、不思議にもたちまちに雲がわきいで大雨となり、苗も生色をみせ、村人たちは胸をなでおろし、水尺大明神を奉祀したという。

この開墾で、この抱返の地より岩山に穴掘り堰筋を掘り開田を計り、神社有地の一角を取入口とする若松堰は、付近一帯の重要な水路となっている。そのような事からだろう、藩政期には、この抱返り神社は、龍神、水分神、養蚕の守護神として遠近各地より崇敬を受けていた。

この抱返神社の東に流れる玉川の河中に、巫女石という大きな奇岩が立っている。

昔、金剛杖をついた山伏が、か弱い巫女をともなって白岩嶽の薬師参詣にやってきた。川を渡ろうとした時、突然二人を激流が襲い、山伏は対岸に渡ったが、巫女はあわや流されそうになった。そのとき明神様が現れ巫女を救った。巫女は明神の霊力に感謝し、崇敬の念から大岩と化した。

山伏が巫女を呼ぶと岩が答え、崇敬の念から自ずから岩になったことを語った。山伏は、明神を礼拝できなかったことを残念に思い、自分も大石に化してしまった。

山伏岩はこの巫女石の対岸にあり、今も巫女石を見守るように鎮座している。