源義家は、出羽で清原一族を打ち破り、なんとか奥羽の大乱を鎮めた。都への帰途はゆるゆると駒を進めこの地に至った。奥羽の地はこれまでは、安倍一族が、その後は清原一族が支配していたが、今はそのどちらも滅亡し、奥羽には新たな支配秩序が必要だった。義家は奥羽の各所に功臣を配しながらこの地に入った。

義家は安達太良山が美しいこの地で戦の疲れを癒し、論功行賞の仕上げをするつもりで、簡易な館を建て腰を落ち着けた。都に戻れば、現実がわからない公卿たちを相手に、この乱の後始末での気の重い戦が始まる。帰りを急ぐ気にはなれなかった。

義家はこの地を中心に各所を巡検してまわった。その合間には、いまだ戦で高ぶっている体を鎮めるために、馬場で馬を走らせた。

館にはこの地の女たちが召し出され、義家主従の身の回りの世話をしていた。その中に、この地の長者の娘の織井がいた。織井は17歳ほどだろうか、気の勝った性格なのだろう、他の女たちにはきはきと指示を与え切り盛りしていた。義家はその見事さに感じ入り、義家が苦手な雑務を手伝わせるようになった。

織井は若く美しかった。義家は壮年の域に差し掛かっていたが、それでも二人が相思の仲になるのに時間はかからなかった。義家は織井に乗馬を教え、連れ立って出ることも多くなった。義家は、安倍一族との戦いからこのかた、奥羽での戦いに明け暮れていた。それがようやく終わったのだということを、織井とともにいる時間の中で実感することができた。

しかし、朝廷からは帰還を促す使いが頻繁に来るようになっていた。都に帰れば気の重い新たな戦いが待っている。それでも放置するわけにはいかなかった。織井にお守りに持参していた水晶玉を授け、必ず迎えに来ることを約し都に戻った。

義家の都での公卿たちとの戦いは、奥羽での戦いとは違い、出口の見えない苦しいものだった。義家が戦ってきた清原一族との戦いは、なかったかのように扱われていた。陰湿な空しい戦いは、義家の姿を老いたものにしていった。奥羽の地に置いてきた織井の若々しい姿を思うと、老いた姿を見せたくはなかった。

織井は、義家との約束を信じ、村人たちに機織などを教えながら、さびしくこの地で暮らした。時折水晶玉をながめ、その中に浮かぶ義家の姿を見ては悲しみにくれることも多かった。しかし、義家がこの地に戻ってくることはなかった。

それからさらに幾年かたち、織井は水晶玉を取り出し、そこに義家の姿を見て気が付いた。水晶玉の中の義家は別れたときのままの気力にあふれた面影だった。しかし織井の顔には少し老いが見えていた。また懐かしくはあっても、以前ほど哀しくはなかった。織井は、義家への思いを断つべく、形見の水晶玉を井戸に投げ入れ、その後しばらくしてこの地で没した。村人たちはこれを哀れみ、祠を建て御前の供養を行ったと云う。

これらの遠い昔の話が忘れられたころのある晴れた日に、年老いた百姓夫婦が畑仕事をしていた。疲れたので水を飲もうと一休みし、おばあさんが井戸へ水汲みに行くと、井戸の中になにやら光るものがあるのを見つけた。

おばあさんは不思議に思い、おじいさんを連れてきて二人で井戸の中の水を汲み上げた。何度も何度も水を汲み上げ、ようやく水はなくなり、井戸の中からとてもきれいな水晶の丸い玉が出てきた。

おじいさんは、その不思議な水晶玉を庄屋さんの所へ持っていき、訳を詳しく話し、庄屋さんは村中の人と相談し、この玉を村の宝として祀り、それ以降、井戸から玉が出たこの地を「玉井」と呼ぶようになった。

このとき出た水晶の玉は、明治天皇の東北巡幸の際に「玉の井の水晶玉」として天覧に供され、現在は「あだたらふるさとホール」に大事に展示されている。

※この話は伝説をモチーフにした創作です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です