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2012/07/10

昨日午前中に仕事を全て終え、盛岡近辺を数箇所まわり、その後、いつものように夜に国道4号線を走り、下北半島に入った。今回の旅の主目的は言わずと知れた下北半島周遊である。前回の津軽半島周遊と同じく、2日かけて下北半島の予定の箇所をすべてまわろうというものだった。

昨夜は、横浜町の道の駅で一休みしたが、うれしくて眠ることができず、そのまま夜中に六ヶ所村の物見崎に走り日の出を拝み、東通村のこの「ヒバ埋没林」に着いた。この時期の日の出は早く、この地に着いたのはまだ5時少し過ぎだった。

この埋没林は、入り口の説明板によると2500~1000年ほど前に、大量の砂が吹き上げられ埋没したものという。車を駐車場に置いて遊歩道を少し歩くと立ち枯れた大樹が現れ始めた。当初は、一面に立ち枯れた悲しい林があるものと思っていたがそうではなかった。小川がつくる窪地に点々と立ち枯れた大樹が立っている。

かつては砂に埋没していたものが、今は子孫の緑の木々の息吹の中に埋もれて立っていた。あるものはモニュメントの様に凛然と立ち、あるものはその体を森の仲間の支えとして立ち、またあるものは新しい命の床となっていた。そしてそれらはどれも誇らしげだった。

この東通村の「ヒバ埋没林」を後にして、約20km先の寒立馬で有名な尻屋崎に向って北上した。天気は薄曇りであまり良好とは言えないが、ギラギラする夏の日差しよりは良いかもしれない。

尻屋崎は、この地の観光の目玉でもあるらしく、表示板なども各所にあり道も立派だ。小さな峠を西に越えると、じきに津軽海峡が見えてくる。そこからさらに北へ走ると尻屋崎のゲートに着いた。ゲートが開くのを待ちさらに岬の先端に向う。左手には津軽海峡の海が広がり、右手は春の海の波のような牧草地が広がる。

岬の先端の灯台の所で車を停め写真を撮ることにした。岬のさらに先端まで草原を歩いた。津軽海峡を通る船が見える。草原にはきれいな花が咲き、岬に突き出た岩間にも花が咲いている。緑の草原に白い灯台、そして先に広がる海、まことに「観光地」としては中々のものである。

しかし、それは観光としてルートをはみ出ない限りの話である。この地は寒立馬の放牧場だ。周りを見回し馬を探したが、馬よりも先に足元に馬糞を見つけた。注意して見ると、それはいたるところにある。この地の「地権者」は寒立馬なのだ。この地の主役は馬で、私達人間はこの地の風景と馬の姿を少し楽しませてもらうだけなのだ。そう考えると少し痛快だった。

馬を探しながら歩くと、馬糞の続くはるか先に、一頭の馬を見つけた。カメラを用意し少しずつ近づいていった。右手を走る車から、管理人らしい方が「その馬は気性が荒いからあまり近くにはいかないようにね」と声をかけてくれた。遠くから見ただけで、たくさん放牧されている馬を特定できるとはこれもまたすごい。管理人の方もこの地の隠れた主役なのだろう。

寒立馬の始まりは、この地を領した南部氏の祖の南部光行の馬産に始まるらしく、当初は軍用馬として育てられたらしい。初めはやや小型であったらしいが、現在は改良が重ねられたせいか、堂々とした馬体だ。

灯台の近くにいた一頭の馬を写真に収めた後に、美しい海沿いの道をゆっくりと車を走らせ馬を探した。子連れでのんびりと寝そべる母子の馬、集団で草を食む馬達、多くの馬を写真に収め戻ってくると、灯台の近くには先ほどは一頭しかいなかったのが群れをなしている。

彼らにとって、この季節はまさにパラダイスだろう。しかし冬にはこの地は厳寒の地になる。その中を、場合によっては何日もじっと立ち尽くしているという。それは孤高の哲学者のように、あるいは阿闍梨のように見えるかもしれない。厳しい冬の中、馬達は実際にはどのようなこころもちなのだろうか。凡人の私にはわからない。しかし言えることは、やがて来る春の訪れを信じていることは間違いないだろう。

白い灯台を背景に馬達の写真を撮り、尻屋崎を後にした。