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2011/08/01

前日遅くにかほ市に入り、この日は遅いスタートだった。のんびりと鳥海山の山麓を走り、岩手に抜ける予定だ。

栗山館は予定には入っておらず、場所も調べていたわけではなかったが、途中、「栗山館」の標示を見つけ、やおら山中に分け入った。雨が上がったばかりの、チョロチョロと水が流れている林道を進んでいく。辺りは鬱蒼とした暗い山道で、それでも要所には小さな表示板があり迷うことはなさそうだった。

それでも、普段歩いている山城とはどうも勝手が違う。だらだらと続く山道には、山城に見られる切岸や虎口などの技巧は見られない。道を間違えたかと心配になり始めたとき、左手にやおら空堀らしき地形があらわれた。空堀とすればなかなかのもので、車を降りて周りを確かめた。すると前方遠くに小さな標柱らしいものを見つけた。ここが館跡に間違いはないようだ。

車に乗り込み、前方の標柱のところまで進んだ。ところが、車から降りたときにすでに3匹ほどのブヨが車中に入り込んでいた。窓の外には数匹のブヨ共が車内を伺っている。しばし躊躇したが、ここまで来て写真を撮らずに戻るわけには行かない。ブヨを叩き落すための小さなノートと、カメラを抱えてエイヤと飛び出し、標柱の説明書きを走り読みする。鳥海弥三郎の館だ。車内で見当をつけたポイントに走り、その見事な空堀、土橋を撮影する。

そして土橋を渡り、郭内に突入した。郭内は、深いところでは腰の高さほどまでの藪で、地形を見定める間もなく、ブヨどもが吸い付いてくる。ノートで何匹か叩き落した。郭内で2度ほどシャッターを切ると、首の後ろから背中に入り込んだようだ。あわてて杉の木に背中を押し付ける。「まるで熊だ」などと思っているうちまた何匹か襲ってくる。

多勢に無勢、地形を確かめることも出来ずに撃退された。ほうほうの体で車に戻りドアを閉めると、数匹の敵兵が入り込み、しばし車内でもノートを振り回し、激闘の末なんとかしとめた。

この館跡は、古い時代の館跡のようで、恐らくは先住民の砦に当たるチャシにその起源を持っているのかもしれない。この地にあった鳥海氏は、剛勇の士であったらしいが、それでも由利十二頭時代の比較的早い時期に消えているはずだ。主を失った館を、今は最強のブヨ兵たちが守っている。恐るべしブヨ兵!!撃退された悔しさの中で、締め切った愛車ロシナンテⅡの中から敵兵にエールを送った。

その後、鳥海山北山麓を走る仁賀保高原に抜けて、浮世から離れ天上世界のような、湖沼が点在する高原の道を20数kmほど走り国道108号線に抜けた。

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