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初版20160909 72view

宮城県石巻市の桜の名所の旭山には、桃太郎の伝説を伝える桃太郎神社が鎮座している。

桃太郎は、家来の犬、猿、雉とともに、鬼の住む金華山にわたり、散々に鬼を破り、鬼の財宝を持ち帰った。ところが、桃太郎はその勝利に驕り慢心し、犬、猿、雉と、毎日のように酒を飲み遊び楽しんでいた。

金華山の鬼たちは、この桃太郎たちの様子を見て、その油断をついて攻めかかり、酒に酔った桃太郎らは鬼に敗れ去り、せっかく手に入れた金銀財宝を奪われてしまったと云う。

この地は古代の桃生(ものお)城の近くで、桃生城は、古代陸奥国に置かれた城柵の一つだったが、宝亀5年(774)に蝦夷による攻撃を受けた。この時期の東北地方は、海道蝦夷が蜂起して桃生城の奪取を契機として、後世「三十八年戦争」とも称される戦乱の時代に突入していった。

この地はすでにヤマト勢力との同化が進んでおり、政府が大規模な征討軍を派遣していた訳ではなく、現地官人と現地兵力が、一部の敵対する蝦夷と対峙しており、伊治呰麻呂が反乱を起こし、多賀城を焼き討ちするまでは、その体制が続いていた。

しかしそれ以降、多賀城には大伴家持、坂上田村麻呂が入り、石巻地方でも蝦夷との争乱が激しくなったようで、坂上田村麻呂は、抵抗する蝦夷の一族を討伐し、この地で大岳丸を討った。その死体を首、胴、手足に分け、牧山、富山、箆岳の三ヶ所に 分けて埋葬し、松島には富山観音、涌谷には箆岳観音、牧山には魔鬼山寺を建立した。また別な説では、田村麻呂が退治したのは、石巻地方にいた魔鬼一族の族長の妻の魔鬼女(まきめ)であるとも伝えられる。その後、紫波城が設置され、蝦夷の大和勢力との同化も進んでいった。

桃太郎神社のある旭山山頂には、計仙麻神社があり、坂上田村麻呂の蝦夷征討の伝説が伝えられ、この地が大和勢力との同化が進み、金華山信仰が盛んになった江戸時代に、この地のヤマトと対立した蝦夷の記憶が重ねあった伝説なのだろう。最後は桃太郎が敗れるところには、この地の蝦夷への思いが見られる。