岩手県花巻市大迫町大迫

2012/09/08取材

 

大迫と亀ケ森との境にそびえているピラミッド型の山は、諏訪沢森と呼ばれており、様々な伝説が伝えられている。

 

・牛若丸と弁慶の石投げ

奥州平泉に身を寄せていた牛若九と弁慶がこの地に巡回に来た時、この諏訪沢森に登った。しぼらく、景色を眺めていた牛若丸と弁慶は、旅の慰みにと、この諏訪沢森からどちらが遠くへ投げるかと、巨岩の投げ比べをすることになった。

まず弁慶が投げることになり、潭身の力を込めて投げた巨岩は、うなりを生じて空高く飛び、稗貫川の中ほどに、水煙を上げて落ちた。牛若丸も手頃な巨岩に駆け寄り手にすると、「ええい」という掛け声もろともに岩を投げた。岩は稗貫川を見事に越え、岩の目の岸に落ちた。

弁慶の投げた巨岩は「中岩」と呼ばれ、最近まで川の中にあったが、その後の大水で流されて今は残っていない。

 

・静御前の話

源頼朝に追われた源義経は、暫く平泉に身を寄せていたが、平泉も安住の地ではなくなり、義経主従は密かに平泉を脱出し、この地を通り宮古方面に落ちていった。

しばらくして義経を追いこの地にやってきた静御前は、牛若丸時代の話を聞き、素足のままこの山に登ったと云う。そのことからこの山は「すあし森」と呼ぼれるようになり、それが「すわさ森」となり、現在の「諏訪沢森」になったという。

また、諏訪沢森の近くにある河原は、静御前が手足を洗ったとされ、「静河原」と呼ばれている。

 

・駒形さん

諏訪沢森の山頂には、一本の大きな老杉が天をついて立っており、傍らには駒形さんを祀った小さなお堂がある。このお堂は、いつの時代か芦毛の馬を生き埋めにして、勧請したのだと伝えられている。

 

・諏訪沢森のツツジ

昔、市女笠を深くかぶった美しい女性が、この諏訪沢森の山麓の家の戸をたたいた。一目で身分の高い女性のように見え、家人は驚きながらも丁重に傍らの清水に案内し疲れた足を洗わせ、奥の座敷へと招じ入れた。

その女性は「鈴鹿の御前」と呼ぼれるようになり、村人らの同情と尊敬を集めていたが、旅の疲れからか、病を得て外に出ることもできなくなった。
村人たちは御前の身の上を気の毒に思い、その心を慰めるために、座敷からよく見える諏訪沢森の半面に、御前が好きだったツツジを植えた。

しかし村人たちの厚い心遣いもむなしく、御前はまもなく世を去り、村人たちは塚を築き丁重に弔ったという。村人たちが諏訪沢森の東南面に植えたツツジは一面に繁茂し、五月のころは紅色に燃えるがごとくになる。