岩手県二戸市金田一大沼

2014/08/25取材

 

延享3年(1746)、この地は大旱魃に襲われ、三十余日の間、雨が一滴も降らず、山川草木悉く色を失い、秋の実りは絶望的だった。このため里人たちは堂宇を建立し雨乞いを祈願した。その後、雨乞いを行う時は、八坂神社の権現様を担いで馬淵川を泳ぎ渡り、これを神社の下にある沼につけて雨乞いを行ったという。現在は雨乞いの他に、五穀豊穣、温泉の神として崇敬されている。

この大沼神社には、次のような伝説が伝えられている。

昔、この大沼地区の小高い場所に、相当大きい沼があった。この沼には、鯉や鮒、ドジョウなども多く生息していた。沼は大きいこともさることながら、深さも深く、底まで潜れた者もおらず、底無し沼とも伝えられていた。或る時、この沼の深さを計ってみようと百五十尺(約45m)ばかりの縄へ石を付け沈めて計ろうとしたが、底まで届かなかったと言う。

この沼には昔から一匹の主が住んで居るといわれていた。誰が見たわけでもなかったが、主の正体は大蛇だと言われていた。或る年、早ばつのため、さすがの大沼の水も日一日と水が減って行った。そのような時、若気にはやる青年たちが、この際に沼の主の大蛇を退治しようと相談を始めた。主の大蛇は、沼が日一日と枯れて行き、次第に動くのもままならなくなり、眼下を流れる馬淵川を見てはため息をついていた。

或る日の明け方、村外れに住む若者が、草刈に出かけようとすると、空が俄かに曇り沼の上に黒い影が現れた。その途端、真っ黒な雲が沼の上にあらわれ、すさまじい音をたてながら若者の方に向かって飛んでくる。驚いてその得体の知れぬものに目をみはると、それはどうも村人たちが日頃から退治しようと語っている沼の主らしい。

若者はぞっとしたが、思わず身をすくめると、持っていた草刈の鎌に確かな手応えがあった。黒雲に覆われた沼の主は、そのままものすごい勢いで下の小沼に飛び込んだ。すると見る見るうちに雲が沸き立ち、土砂降りの雨が降り始めた。降りも降ったり大豪雨が二日も続き、馬淵川の水は溢れ大沼一帯は大洪水となった。

やがて水が退くと、沼の主が飛び込んだ小沼は赤い血の色に染まっていた。そんなことからこの沼は赤沼と呼ばれるようになった。

大沼の主はその後どうなったか、その行方はわからなかったが、ある者は何処かの山で死んでいるのを見たといい、またある者は、海に向かって馬淵川を下るのを見たともいう。