岩手県平泉町平泉字志羅山

震災前取材

 

平泉毛越寺の東に隣接し、観自在王院の跡がある。現在の建物は享保年間(1716~35)に大阿弥陀堂跡に再建されたもので、舞鶴が池を中心とした浄土庭園の遺構はほぼ完全な形で保存され、今は史跡公園として整備されている。寺跡は、毛越寺と共に特別史跡に指定されている。

観自在王院は、二代基衡の室で、前九年の役で滅亡した安倍宗任の娘が建立したと伝えられている阿弥陀堂で、大阿弥陀堂と小阿弥陀堂があった。大阿弥陀堂には阿弥陀如来、観音、勢至菩薩の三尊を安置し、堂内の四面の壁には、京都の霊地、名所の、八幡の御放生会、加茂の祭、鞍馬、醍醐の桜会、宇治の平等院、嵯峨、清水の七箇所の情景が描かれていた。また、仏壇は銀、高欄は磨金で出来ていたと云い、女性の持仏堂らしい華麗な造りであった。

観自在王院跡の寺域は、東西約120m、南北約240mであり、周囲を土塁で囲まれていたと推定されている。南門を入って北には、舞鶴ヶ池がある。この池は、四隅が丸くなった方形の苑池で、巨石を積み重ねた荒磯様の石組、小じんまりした洲兵、東西に長い中島などがある。庭園は、この舞鶴ヶ池を中心に、平安時代の『作庭記』の作法通りに作られている。規模こそ小さいながらも、平安時代第1級の浄土庭園であったと思われる。北岸は広庭、それに向かって西に大阿弥陀堂、東に小阿弥陀堂があった。東岸には、鐘楼跡と普賢堂と伝えられる遺跡もある。南門跡、西側土塁、西門跡などほか、西側の毛越寺との境には、前面玉石敷きの広い車宿(くるまやどり)も発見されている。小阿弥陀堂の北に、基衡夫人墓と称される墓碑が残る。