震災後3年経った夏に陸前高田市から南相馬市まで車を走らせたことがあります。 橋のたもとには「チリ地震での津波を教訓に・・・云々」と書かれていましたが、姉歯橋は橋脚の一部を残すのみの無残な姿でした。 このお写真で流された橋の全容を初めて知りました。立派な橋だったんですね。 真夏の晴天の中、川の流れがやけに緩やかで穏やかな空気だったのを覚えています。 あの夏の旅は実に衝撃的なものでした。 雇用促進住宅の4階までがすっかり流されているのに、5階部分はバルコニーの手すりもしっかり残っている。 これが水害なんだと初めて知りました。 そこここに津波到達点の青いプレートが掲げられ、その前に立った自分のちっぽけさを痛感したものです。 返信
震災後3年経った夏に陸前高田市から南相馬市まで車を走らせたことがあります。
橋のたもとには「チリ地震での津波を教訓に・・・云々」と書かれていましたが、姉歯橋は橋脚の一部を残すのみの無残な姿でした。
このお写真で流された橋の全容を初めて知りました。立派な橋だったんですね。
真夏の晴天の中、川の流れがやけに緩やかで穏やかな空気だったのを覚えています。
あの夏の旅は実に衝撃的なものでした。
雇用促進住宅の4階までがすっかり流されているのに、5階部分はバルコニーの手すりもしっかり残っている。
これが水害なんだと初めて知りました。
そこここに津波到達点の青いプレートが掲げられ、その前に立った自分のちっぽけさを痛感したものです。