イザベラは、横浜から英国公使館に向かう際に、鉄道を使い、日本の近代化の速さに驚いたようだ。車窓からの東京湾の景色を楽しみ、また平野部での無駄なく耕された田畑を眺め、日本人の勤勉さにも驚いたようだ。概して日本人は黄色く小さく、白人ばかりを見ていた目からは、その容姿はみすぼらしいものと映ったようだが、それでも「楽しそうな顔つき」に見え、印象は悪くはなかったようだ。また公使館で働く日本人や、奥地旅行の従者として選んだ日本人からは、親切で利口で礼儀正しい印象を持ったようだ。

 

第五信
江戸、英国公使館、6月9日

一度だけ、仏教寺院の事も書いてみることにする。これは一年中祭礼をやっている、有名な浅草寺で、慈悲の女神である千手観音をまつったものである 。一般的に言って、日本の仏教寺院は、設計、屋根、外見において、いずれも似ているといってよい。
(中略)

【浅草】
チェンバレン氏と私は、人力車に乗り、お仕着せを着た3人の車夫がそれを引いて、公使館から浅草まで、3マイル雑踏する街の通りを急いだ。浅草は昔村であったが、今ではこの巨大な都市に統合されている。車は吾妻橋に向かって広い通りを進んだ。吾妻橋は東京の数少ない石橋の一つで、東京の東西を結ぶ。東の東京は、興味のない地域で、多くの掘割があり、倉庫や材木置き場や下屋敷が多い。浅草のこの通りは、ものすごく歩行者や人力車があふれており、多くの乗り合い馬車の路線の終点であるから、20台も、貧弱な幌馬車が、さらに貧弱な馬にひかせて乗客を待って、道路の真ん中に勢ぞろいをしている。この浅草においてこそ、東京の本当の生活がみられる。というのは、多くの人々の参詣する寺院の近くには、いつも数多くの遊び場所―罪のないものや悪いもの―がある。この寺の近辺には、食堂や茶屋、芝居小屋が立ち並び、踊ったり歌ったりする芸妓のいる遊里もある。

【仲見世】
大通りから寺の大きな入口まで、歩行者専用の広く石を敷いた参道がある。入り口は、二階建て二重の屋根の巨大な門があり、美しい赤色で塗ってある。この参道の両側には、店が立ち並び、美しく豊富に品物を並べてある。おもちゃ屋、たばこ道具屋など。髪を飾るかんざしを売る店が圧倒的に多い。門の近くに、各種の仏具の売店があり、数珠、小箱に入った真鍮製や木造の偶像で、袖や懐に入れるもの、お守り袋、日本の家庭の神で最も人気のある、富貴の神大黒がにこにこしている像、仏壇、位牌、安物の奉納物、祈祷用の鈴、燭台、香炉、そのほかに仏教信心の公私にわたる、数限りない種々の品物を売っている。浅草では毎日が祭日である。この寺は偉大な諸仏の中でも最も人気のある仏を祀ったもので、最も人気のある霊場である。仏教信者でも神道信者でも、あるいはキリスト教信者でも、この都を初めて訪れる者は、必ずこのお寺に参詣し、その魅力的な売店で品物を買うのである。私もその例外ではなく 花火の束を数個買った。50本で2銭(1ペンス)である。花火はゆっくり燃えていくと、とても美しい雪白水晶の形をした閃光を放つ。私は又、1個2銭の小箱に興味をそそられた。その中には花のしぼんだ小片のようなものが入っていて、それを水に浸すとふくれあがって、木や花となるものである。
(中略)

【浅草寺】
外側のお堂では、騒音やら混雑で、人の波が絶えず動き、目の回るほどである。人の群れが下駄の音を鳴らしながら、出たり入ったりする。入口に住んでいる何百という鳩は、頭上を飛来し、そのバタバタという羽根の音が、鈴の音や太鼓、ドラの音と混じり、僧りょの読経の高声や、低く呟きながら祈る人々の声、娘たちの笑いさざめく声、男たちの甲高い話し声がまじりあって、あたり一面が騒音に渦巻いている。初めて見る者には、まことに異様な光景が多い。床の上にあぐらをかいて、お守り、数珠、お札、線香、その他の品物を売っている男たちがいる。壁や大円柱には、あらゆる種類の奉納物が掛けてある。その大部分は素朴な日本の絵である。ある画題は、百人の死者を出した、品川沖の汽船爆発で、このとき観音のご利益で命を助けられた人が、寄贈したものである。多くの記念物はここで祈願して、健康や財産を取り戻した人々が寄進したもので、命拾いをした船乗りのものもある。身内の病人の快癒を願って誓願したり祈願するため寄進した、男の髷や女の長い髪が、幾十となくある。そのほか左手には大きな鏡があって、きらびやかな金縁の中に、郵便船チャイナ号の絵が納められている。これら各種の不調和な奉納物の上には、素晴らしい仏の木彫りや壁画があって、鳩たちの安住の地となっている。
(中略)

【矢場】
寺院の境内はまことに特異な光景である。英国の市が全盛時代であったときでも、このように人をひきつけるものが並べられていることはなかったであろう。寺院の裏に、矢場がたくさんある。そこの娘たちは、いつものようなしとやかさはなく、微笑したりにやにやしたりして、きれいな茶碗に淡黄色のお茶をいれ、味のないお菓子を漆の盆にのせて持ってくる。彼らはちっちゃな煙管をすう。竹を2フィートほど細く削った弓と、矢を載せる台、小さな桜材の矢(先端が骨材で、赤や青や白の羽が付いている)を差し出して、微笑し遠慮がちに、腕試しをなさいませんかという。的は四角の太鼓の前にあって、左右を赤い座布団で囲んである。かちっ、ぷーん、そして耳にほとんど聞こえないドサッという音が結果を示す。弓を射る人は、ほとんどは大人の男性で、その多くは一時に何時間も費やして、この子供っぽいスポーツに興ずるのである。

【門前】
境内のいたるところに茶店があり、例の炭火で銅の窯の湯を沸かし、奇妙なつくりの鉄瓶や小さな茶碗、香りのよいお茶を出し、愛嬌のある優しい少女が、やすんでお茶を飲みませんか、とよっては呼び招く。もっと歯ごたえのある、しかしそれほど食欲の出ないお菓子類も食べられる。どの出店も、美しい紙提灯の列で飾られている。それから写真館があり、茶店のある庭園まがいのものや、たくさん実物大の像が並んでいて適当な背景があり、大きな輪をギーギー回すと人物が動き出すという、仕掛けの人形舞台もある。畳を敷いた休息所や、お皿に米、豆、エンドウ豆を盛って売っている店もある。これは神々に備えたり、ハトや馬に与えるためのものである。馬は2頭の神馬で白子の馬である。桃色の目と鼻をしており、不愉快になるほどどん欲な動物である。1日中食べていながら、まだもっと欲しがる。歌や踊りの小屋もある。ある小屋では職業的な話し家が、ぎっしり詰まった聴衆を前にして、昔の人気のある犯罪談を語っていた。ある小屋では、数厘を払えば、非常に醜くて慾深い猿に、食物を食わせることもできるし、日本式に平伏することを教わった、不潔な猿を観察することもできる、
(中略)

【洋装と和装】
この大都市では、古いものと新しいものが、互いに対照し、互いに摩擦している。天皇と大臣たち、陸海軍の将兵たち、文官や警官のすべてが洋服を着ている。若い日本を代表しようと熱望する、放蕩的様相を帯びた若者たちも同じく洋服である。馬車や家屋も、絨毯、椅子、テーブルのある英国式が、非常に多くなってきている。外国製の家具類を購入する時の悪趣味も目立つが、純粋の日本式で、家屋を飾るときの趣味の良さも目立つ。幸運なことには、このように高価で似合わぬ新式の品物は、女性の服装にはほとんど影響を与えなかった。洋式を採用した婦人たちの中にもこれを捨てたものがいる。洋服は着心地が悪く、いろいろ複雑な困難があるという理由からである。

皇后は、国家的行事の場合には、真紅の繻子の袴、流れるような長い衣服を着けて現れる。しかしいつもは皇后も女官たちも、和服を着ている。私は洋装の女性を二人だけしか見ていない。それは当地の晩餐会の時で、進取的な外務次官、森有礼氏夫人と、日本の香港領事の夫人だけだった。二人とも長く海外に居住したから、楽に洋装できるのである。ある日、西郷従道文部卿夫人が、美しい和服を着て訪ねてきた。それは淡紅灰色の絹の縮緬で、淡紅色の下着も同じ材料のもので、頭のところと袖のところで、ちらりとそれをのぞかせていた。彼女の帯は、鮮やかな淡紅灰色の絹で、あちらこちらに淡紅色の花模様が、うっすらと浮んでいた。彼女は束髪の髷に一本のピンをさしただけで、髪飾りや他の装飾は格別になかった。彼女は美しくて魅力的な顔をしており、和服の姿は優美で威厳があった。洋装であったら全くその逆に見えたであろう。和装は洋装よりも大きな利点がある。すなわち一つの着物と一つの帯をつければ、完全に着物を着たことになり、重着すれば、服装は完ぺきなものとなる。高貴の生まれの女性と、中流や下層階級の女性とでは、顔の特色や表情に相違がある。しかし日本の画家は、この点を大きく誇張している。私はふとった顔、団子鼻、厚い唇、まなじりのつり上がった長い目、白粉を塗った顔色などをほめたいとは思わない。唇に赤黄色の顔料を塗ったり、顔やのどに白粉を厚く塗り立てる習慣は、私をぎょっとさせる。しかし、あのようにやさしい立居ふるまいをする女性に対して、好ましくない批評をすることは難しい。

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