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秋田市と八郎潟周辺を数ヶ所まわった後に、この日の最大の目的としていた八望台に向かった。

前日までは、9月というのに、猛暑が続いていたが、この日の男鹿半島は、今年初めて感じる秋風が吹いていた。空も高く、秋空独特の、濃い青い空の色だった。この日のメインは、八望台から日本海に沈む夕日の撮影だった。この日の日没時間は、5時50分頃ではあったが、日没前後の空の色の変化を楽しみたいと思い、4時頃までには現地に着きたかった。時間は十分あるとは思えたが、なにせ始めての道で、翌日の男鹿地区の取材箇所も確認しておきたかったこともあり、八郎潟周辺を早めに切り上げて、八望台に向かった。

男鹿市に入り、右手に寒風山を眺め西に進むと、翌日のメイン取材箇所の脇本城跡の案内板を見つけた。さらに西に進むと、いよいよ男鹿国定公園に入っていく。海沿いを走る道は、断崖を縫うように、アップダウンを繰り返す。途中、取材の予定にはない絶景がいたるところに現われる。しかしすでに時間は3時を過ぎ気は急いていた。翌日の撮影ポイントとして頭にたたみ、先を急いだ。

このような絶景を、車も停めずにスルーすることには、なにか後ろめたいものすら感じてしまう。今眼前にある絶景は、この日の、この時間の、この光の中だけの絶景で、まさに男鹿が私に見せてくれている一期一会なのだ。それでも、この日、私を待ち受けている、八望台の夕日を考えると、車を停めるわけにもいかなかった。

この地は、あの江戸時代の紀行家の菅江真澄が幾度も訪れた場所だ。真澄は恐らく、予定などは立てずに、気の向くままに風を肌で感じながら歩いたのだろう。予定を立てて旅をするということは、思いもかけずに現われる、多くの一期一会を切り捨ててしまうことなのだと改めて感じた。しかし、仕事を持ちながら旅をする私には車を走らせるしかなかった。

知らない道でもあり、思いのほかに八望台は遠かった。八望台のある戸賀の集落に入ったが、すでに時間は4時をまわっている。捜しながら車を走らせたが、どうやら入り口を見逃してしまったようだ。また、戸賀の集落に戻り、脇道に入ると「八望台」の標識があり、どうやら八望台に到着した。

八望台の展望台に上がった。すでに夕日のショーは始まっていた。海面には太陽がその姿を映していた。空には雲一つない。青空は、空の大きさそのものを見せて水平線まで広がっている。水平線のかなただけが、わずかに赤みを帯び始めていた。

同好の氏がいたが、まだ明るい日差しの中で、昨日とは打って変わっての涼しい風の中で、周囲のコスモスにカメラを向けて秋の兆しを撮っていた。

八望台は、男鹿半島の先端に位置し、周囲360度を見渡せる絶好の位置にある。さらに、爆裂火口湖の二の目潟と、戸賀湾が眼下に広がり、日本海の夕日に絶好のロケーションを与えている。

日が次第に暮れていく。「今日は、真っ赤な夕日が撮影できるかもしれない」などと、カメラを据えた同好の氏と話し、「雲が全然ないのも少し寂しい」などと贅沢な話をしていた。そうするうちに観光バスが一台やってきて、観光客がどやどやと展望台に上がってきた。ひとしきり歓声を上げて、スマホで写真を撮り、またどやどやとバスに戻っていった。

この八望台が、この日、私達に用意している一期一会の絶景は、まだまだこれからだというのに、同好の氏も思いは同じらしく、顔を見合わせ無言で微笑んだ。

いよいよ日は水平線に近づき、八望台の夕日も佳境に入りつつあった。すると、それまで太陽の明るさで見えていなかった分厚い雲が、その沈む位置に、押し留めるように湧いている。同好の氏から軽い落胆の声がもれた。しかし、それはそれで美しい。シャッターを切り続けた。

夕日が完全に沈み、最後まで残ってシャッターを切っていた同好の氏も展望台をあとにした。私は、一番星が輝き、戸賀湾の周囲に、点々と明かりが点き、夜のとばりが下りるまで、存分に八望台が見せてくれる絶景を楽しんだ。

カメラを外し、三脚を片付け、黒々と広がる夜空を見上げると、都会では見えない天の川が、長く輝いていた。松尾芭蕉の、「荒海や、佐渡によこたふ、天の川」の句を思い出した。

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