岩手県紫波郡紫波町桜町本町川原

2012/05/16取材

 

別名:赤石神社

志賀理和気(しかりわけ)神社は、延暦23年(804)蝦夷征討のためこの地に到った征夷大将軍坂上田村麻呂が、東北開拓の守護神である香取、鹿島の二神をこの地の鎮守として勧請したと伝えられる式内社である。以来この地を領した奥州藤原氏一族の樋爪氏を始め、高水寺城主斯波氏など、累代領主の厚い尊崇を受けた。

天正年間(1573~92)、この地を領した南部氏にも崇敬を受け、盛岡藩第七代藩主南部利視は「御社はとまれかくまれ志賀理和気我が十郡の国のみをさき」の和歌を献じ、社殿を造営した。さらに、近江商人の井筒屋などの豪商も、霊験あらたかな神として篤く信仰した。

明治期には郷社に、大正期には県社に列し、現在は県神社庁指定の一級社である。

境内には、「紫波」の地名由来の「赤石」があり、また桃香姫の伝説を伝える「南面の桜」がある。