岩手県盛岡市玉山区玉山

2012/07/09取材

姫神山は、岩手県盛岡市玉山区にある独立峰で、標高1123.8mで、ピラミッド型をした山容が特徴である。歌人石川啄木は、この山麓の渋民村で育ち、この山をこよなく愛したことで知られる。

平安時代の初め頃、京の都には鈴鹿山を根城にした鬼どもが出没し悪事を働いていた。桓武天皇はこれを見かねて、坂上田村麻呂に鬼を征伐することを命じた。田村麻呂が鬼を討伐するために山中に分け入ったおりに、山中で一人の神女にめぐり会った。その神女は「立烏帽子神女」と称し、田村麻呂を見込んで、自ら進んで彼の守護神となった。

その時以来、神女は田村麻呂を護り、彼が戦う度に勝利をもたらしてくれた。その後田村麻呂は、胆沢地方のエミシ勢力を征圧し、次いで志波地方のエミシ勢力の掃討作戦にも勝利した。田村麻呂はこの時、この地の美しい山を見て、その神女を山頂に祀り、後に「姫神山」と呼ばれるようになったと云う。

この地名については、アイヌ語の、「頭が尖っている山頂の神」の意の「ヘムムィカムィ」から来ているとも云われている。

この姫神山を中心とし、西には岩手山、東には早池峰山があり、この三山を巡っての伝説も伝えられている。

この地の女神の姫神山と男神の岩手山とは夫婦だったが、岩手山は、いつしか美しい早池峰の女神に心を奪われるようになった。そこで岩手山は、送仙山の神に、「姫神をどこか見えないところへ連れて行け」と言い付けた。岩手山は、この地の神々の中では、動物も草木も川も山も、その命にそむくことができないほど恐れられていた。送仙は仕方なく、姫神を説き伏せ、悲しみにくれる姫神を東へと連れて行ったが、心進まぬ姫神の足は中々進まなかった。

翌朝、岩手山が周りを見渡すと、東のあまり遠くないところにまだ姫神の山が裾を引いていた。岩手山はこれを見て怒り狂い、真っ赤な火を噴き、言い付けに背いた送仙の首をはねて、その首を自分の脇に置いた。このため送仙山の頂上は平らで、その首は岩手山の中腹にコブのように見える。

これ以降、今でも岩手山、姫神山、早池峰山の三山が同時に姿を現すことはめったになく、岩手山が現れると姫神山は雲の中に姿を隠し、姫神山がくっきり見える日は早池峰山は姿を見せないと云う。

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