岩手県一関市厳美町字舟卸

震災前取材

 

平泉の藤原氏が全盛の頃、この地の五串という地に大隈長者と呼ばれる豪族がおり、奥州から産出される金や漆を京へ上って商い、巨万の富をなしていた。

長者は京の「まつや」を定宿としていたが、そこに小松姫という可愛い姫がいて、長者は我が子のように可愛がっていた。小松姫も長者を敬慕していたが、それはやがて恋心に変わり、長者が幼い頃約束した奥州行きをせがむようになった。長者は娘の恋心を非常に憂い、それ以来娘の前に姿を見せなくなった。

しかし、それは娘の長者への恋心をさらに強くしてしまい、娘は奥州への長旅を決意し、巡礼姿で厳美五串の地を目指した。長者に会いたい一心で、ようやくの思いで五串の地を訪れ、長い旅の疲れも足の痛みも忘れ、長者の家を尋ねまわったが、どこに聞いても「知らぬ、存ぜぬ」だった。娘が京を発ったことを知った長者が、口止めしていたのだった。

娘の失望は大きく、足取りも重く歩き回るうちに、この地にあったお堂に辿りつき、ここに身を寄せ毎日長者の屋敷を探し続けたがどうしても見つけることができなかった。娘は、自分が訪れたことを知らせるために、お堂のかたわらの大きな松の木に、身につけていた鈴を掛け、「わが思い届けよ」と鈴をふりならした。

しかし、その思いが伝わることは無く、姫は嘆き悲しみ、長者を怨んで、厳美渓の滝に身を投げてしまった。

後に、この滝は「鈴振りの滝」と呼ばれるようになり、また松の木は「鈴掛けの松」と呼ばれ近年まで残っていたが、今はすでに枯れ、伝説を残すのみとなった。