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山形県高畠町に「妙多羅天」を祀る小さな社がある。これは、神仏や善人、子供の守護者で、悪霊退散の神、縁結びの神として祀られているものだ。

この妙多羅天には、以下のような伝承がある。

平安時代後期、源義家に敗れた安倍氏の一族の子の弥三郎が、妻子と母とともに一本柳の地に隠れ住んでいた。母の岩井戸御前は、慈愛深く甚だ温良であったが、一度怒れば天魔鬼人も恐れ、凡人の生ではなかった。

弥三郎は、御家再興を志し、妻子と母をこの地に残して武者修業に出かけた。しかしその間、弥三郎の妻と子は悪病に倒れてしまった。一人残された母の岩井戸御前は、その悲しみと苦しみにもだえた末、鬼女になってしまった。

鬼女になった岩井戸御前は、近くの橋のたもとで狠を使い、旅人をおそい金品を奪い、御家再興のためにそれを貯えていた。

武者修業を終えた弥三郎が郷里へと急ぐ途中、この橋のたもとで狼の群れに襲われた。見ると、白髪の鬼女が何頭もの狠を使い弥三郎を襲わせていた。弥三郎は狠を追い散らし、その鬼女の右腕を斬り落したが、ギャーという悲鳴とともに鬼女の姿は消えた。

弥三郎は、その腕を抱え、なつかしい我家に戻ると、家は荒れ果て奥からはかすかにうなり声がする。奥に進むと母の岩井戸御前が臥せっており、母は涙ながらに妻子の死を弥三郎に伝え、苦労して御家再興の資金を貯えた事を話した。

弥三郎も修業中の苦労を話し、途中の橋のたもとの出来事を話し鬼女の右腕を見せると、母はたちまち鬼女と化し、その腕を取り上げ天高く飛び去った。

岩井戸御前はそれより弥彦山に至り、前非を悔い、多くの善行をなし人々に崇められた。没するときに「我を祀らば悪行退散、夫婦和合、縁結びの神となろう」と言い残し没した。

弥三郎は母の心を哀れみ、屋敷内に堂を作り供養し、それは後に「妙多羅天」として崇敬を集めたと云う。

この「妙多羅天」は、越後や佐渡にも伝説が伝えられているようで、特に越後の弥彦神社周辺に伝説が多いようで、弥彦神社がこれらの伝説に深い関りがあるようだ。

弥彦神社の伝説は以下のようなものだ。

昔、佐渡に一人暮らしの老婆がいた。腰は曲がり足は弱り、畑を作って生活するのにも難渋する様子だった。ある夏の夕方、裏山に上がり涼んでいたところ、一匹の老いた猫が現れた。見慣れない猫だったが老婆に寄ってきて足元に戯れた。

老婆は、昼の残りの飯を一握りやると、猫は旨そうにそれを平らげた。翌日もその猫は現れたが、昼飯はすでに食べてしまっており、猫にやるものはなかった。「今日はもう飯は無いよ」というと、しばらく老婆を見ていた猫は、そのうちに、砂の上で、あっちへころころ、こっちへころころと転がり遊び始めた。

そのさまがとても面白かったので、老婆も真似をして、砂の上で転がってみた。すると結構涼しく心地よかった。しばらく猫と一緒に転げ回っていたが、不意に猫は立ち去って行ってしまった。老婆は砂を払いながら、「また来なよ」と言うと山を下り始めると、なにかしら身体が軽くなったような気がした。

その翌日も山の上に行ってみた。すると既に猫がいて、転がり始めた。老婆も砂の上に臥し転び始めた。小一時間もすると猫はまた不意に立ち上がりどこへともなく去って行った。老婆は立ち上がって驚いた。腰は伸び、足も強くなったように感じた。

また翌日、さらに翌日と、何日も何日も老婆は山に上って猫と戯れた。まるで取り憑かれたかのように砂の上を転げ回り、そのたびに肌の皺はなくなり、歯は生え揃い、目も良くなり、若返って行った。

村人たちはこれを怪しみ、遠縁にあたる男が老婆のもとを訪ね、老婆の顔を見ると、壮年のごとく若返っていたが、目はらんらんと輝き、歯は鋭く、爪も長く尖っていた。猫とのことを男に話しているうちに、老婆が頭に手をやると、白髪の束がごそっと抜け落ちた。落ちた髪の毛の下にはびっしり細かい毛が生え、目元にはみるみるうちに隈が現れてきた。

男は「それは化け猫だ。婆さん魅入られたんだよ」というと、老婆は「あれを悪く言わないでおくれ、こんなに元気にしてくれて、私や感謝してるんだ」と言うと縁先から外へ駆け出し、ぽーんと飛び上がると、山やま、家いえの上を跳ねて消えてしまった。

村人たちは、「婆さんはもう化け猫に取り込まれちまったんだ」と恐れ、大きな網で捕まえようとしたが捕まえられなかった。そこで、村人たちは、夜になり老婆が家に戻ってきたのを見計らって、家に火をかけた。

燃え上がる家の中から、修羅の形相の老婆が現れた。半ば猫と化した凄まじい姿に見る村人みな驚き、気絶する者もいた。老婆は火をものともせず家から出ると、地を蹴って虚空へ飛び、消え去った。すると空一面雷動し始め、土砂降りになり村人は散り散りに逃げた。

山は片端より崩れ川の数々ははんらんし、洪水で家々は流され畑は潰されていった。村はおろか島中が大荒れとなり、朝には見るも無惨な光景が拡がった。さらには、毛だらけの右手を上空に伸ばし、雲を一ひねりしては各地に雷雨を落としてまわり、それは越後にまで達した。

弥彦山あたりの里人らは、古くから「妙多羅天女」を信仰しており、これは天女の怒りであると確信し、弥彦神社に頼むと、「まさしく猫多羅天女(ミャウタラテンニョ)である」とし、老婆を神として祀るように託宣した。村人たちは老婆の髪の毛を社に祀ると、災いは静まり、以後、その姿は消えた。ただ、年に一度、佐渡中を揺るがす雷鳴が轟くことがあり、これは猫多羅天女の仕業だとされている。