2007/04/25取材 青森県七戸町

 

歴史散策⇒矢館跡

矢館は、七戸城から北東側に直線距離で400mほどだろうか、七戸城の出城的な役割を持っていたようだ。この七戸の町は、北側に複雑に入り組んだ尾根を持ち、その一つがこの矢館になっている。

この矢館は、「小説・蟠龍雲に沖いる」で、七戸城攻略の要所として書いたのだが、なにせ現地は見ずに、地図と、現地の方がWebに乗せていた写真で「作戦」を立てて「攻略」したもので、今ひとつ自信がもてなかった。

この城には東、西、北の三つの郭があったはずだが、どこがそれに当たるのかは確認することは出来なかったが、東郭と思われる場所に上ってみると、そこには土塁のあとらしきものがあり、東端には祠があり、それらしい雰囲気はあった。この東西に長い尾根が主郭だったのだろう。南、東、北は急斜面に囲まれ、恐らくは北側が大手口だったろうと予想していたのだが、あらためてそう感じた。

地形からすると、北から主郭に攻め上る敵に対しては、背後の北郭と側面の西郭から矢玉を浴びせる、そのような中世の山城のパターンがここでも見られる。しかし、七戸城でも感じたように、数千の軍勢で守るならいざ知らず、数百の軍勢で守るには大きすぎる。

小説の中では、七戸城には矢館も合わせて1300程の南部勢が守ったという設定にしたが、この程度の軍勢では、まして兵を二つに分けたのでは守りきれるものではないし、また七戸本城に兵を集中させ矢館を捨てれば、それでも匕首を突きつけられる七戸城を守ることは困難になると思われた。

七戸城は確かに名城であると思う。しかしそれは数千の兵が守ったときのことだろうとは、この後、九戸城を取材して改めて感じることになった。