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宮城県栗原市金成字中町

震災前取材

藩政期時代、仙台藩は大きく四地方に分けられていた。南は仙南地方、北は大崎地方、中奥は一迫、二迫、三迫、登米、牡鹿、本吉で、奥は岩手県南となっていた。この内中奥は更に五地域に分かれて、それぞれに代官所が置かれた。

金成代官所は、三迫と磐井郡の流郷を管轄し、金成は三迫二十九ヶ村と、流郷の花泉、永井、涌津、奈良坂の中心となった。郡奉行は古川に置かれ、代官は郡奉行に代わる役人で、年貢の徴収を行うのが主な仕事だった。

大肝入は代官の命を受け、村肝入や検断所を支配し、三迫地方の行政、司法、警察等の管理を務めた村役人で、藩士の次に席次するもので苗字帯刀を許された。

明治に入り、胆沢県に属したが、このとき火災で全焼した。現在は当時のケヤキの古木が名残を伝えている。