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宮城県仙台市宮城野区二十人町

  藩政時代、寛文4年(1664)ごろ、二十人町は、鉄砲足軽が配された鉄砲町と時を同じくして割り出された町で、武功のあった二十人衆という弓鉄砲足軽をおいたのが二十人町のおこりである。北接する鉄砲町とともに、大町から名掛丁を経て陸前浜街道へと続く主要な街路に位置している。 この町に住んだ二十人衆は、その武功により、仙台城に向かって弓鉄砲を稽古することが許され、その氏神の矢先神社の境内でこれを実施したと伝えられている。二十人町は城下の東、小田原から真直ぐに青葉城大手門に通ずる重要な通りであった。このため、矢先神社の西側の通りは鍵形に曲げられ、外敵の見通しを防いだといわれている。 榴岡には天満宮、釈迦堂があり、榴岡公園は一般に開放されていた。また明治以降は終戦まで歩兵第四連隊があり、兵士や面会人が往来し大変賑わった地域であった。二十人町の商店街には土産物店、飲食店が多く繁盛していた。 現在、隣接する鉄砲町とこの二十人町は、駅東の再開発が行われ   、東北本線で断ち切られていた仙台市街の東西を結ぶ幹線道路が作られており、その姿は大きく変わりつつある。