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宮城県丸森町字上滝西

駒場滝不動愛敬院の仁王門は、この地の名主の菊地太兵衛が、天下泰平、諸民安楽を願い、13年間参籠し、浄財を募り、私財を投じ建立した。

しかし、完成を目前にした文政6年(1823)、相次ぐ冷害飢饉に農民達は疲弊し、その上、過酷な重税や使役の圧政にあえぎ、村人らは百姓一揆を起こそうとしていた。太兵衛はその蜂起をおさえ、単身藩主に窮状を直訴し捕らえられ、獄死した。

しかしその後、仙台藩はこのことにより藩政を正し、悪役人を追放し善政が施された。 山門は未完成のままになってしまったが、百数十年後の昭和56年(1981)に完成工事が施された。この仁王門の仁王像は、太兵衛の孫である仏師法橋雲龍の作であると伝えられる。

この愛敬院山門の近くには、太兵衛が13年間参籠し、また、役人の目を逃れ、村人と密かに謀議し訴状をしたためたと云う、地下室の跡が残されている。