岩手県盛岡市玉山区玉山

2012/07/09取材

東楽寺は、安倍氏の時代に建立された寺院として伝えられており、その後の奥州藤原氏の尊崇をも受けていたようで、玉山観音堂付近の寺久保がその旧地とされるが明らかではない。

この地の姫神山は、岩手山、早池峰山とともに古来の三霊山とされ、坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる。山頂には姫大神を祀り、山麓の前山に玉東山筑波寺を創建し、姫神の本地仏として十一面観音立像が安置されたと云う。

それ以降姫神山の山中や山麓には多くの堂宇が開かれ、修験道の霊場として栄えた。また江戸時代には、盛岡藩主が、盛岡市仁王の観音堂から、寛文年間(1661~1673)に現本尊十一面観音立像と仁王像を移し、姫神山山麓の玉山観音堂に奉納したと伝える。

明治の廃仏毀釈では、この地の多くの寺院が廃絶となり、姫神山中に祀られていた諸仏も、堂宇の廃絶に伴って行き先を失い、転々とした後姫神嶽神社に集められ祀られていた。昭和2年(1927)になってから、姫神嶽神社から一括して東楽寺に移され、現在に至っている。

この東楽寺には、姫神山麓に祀られていた十一面観音像等九体の平安仏が保存されている。二体の仁王像を除く七体の菩薩像は、すべて十一面観音立像であるが、十一面の化仏が残るものは1体だけで、他は全て頭頂の化仏を失っている。