岩手県藤沢町大籠字青松

震災前取材

 

布留大八郎、小八郎は、この地で製鉄を行っていた千葉土佐に備中から招かれ、千松沢に住み、姓を千松としたという。千松兄弟は熱心な切支丹で、この地に製鉄の技術とともにキリスト教ももたらした。

二人の「天秤流」という西洋流の製鉄技術はすばらしく、この地で以前の十倍もの鉄の生産量をあげたという。その製鉄法では、あるおまじないを唱えると鉄がよく溶けると教えられたといい、これがキリスト教だった。この製鉄技術は周辺に広がり、その普及とともに切支丹も増え、一時期には3万人にも達したという。

千松大八郎の墓の位置はこれまでわからなかったが、昭和3年(1928)、調査の結果この地であることが確認された。